2026/06/01
今月の聖句
6月の聖句
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
旧約聖書・創世記 第3章9節
何かを「探す」ということがあります。「牛乳を買って来て」と頼まれて、近くのお店に行って探します。「これは何だろう」とよく意味がわからなくて、AIや検索エンジンを使って調べます。探している時、そこには「探しているもの」に夢中になります。何とか見つけようとして、どんどん沼にハマるように探すことに夢中になることだってあります。私たちの生活はいつも何かを探している毎日なのかもしれません。
主なる神さまは、創世記の初めの人アダムを探します。「どこにいるのか。」アダムは隠れています。神さまとの約束を破ったからです。食べてはいけない木の果実を取って食べて、神の足音が聞こえたので、恐ろしくなって隠れているのです。やましいことがあると人は隠れます。約束を破ってしまったなら、その相手とは会いにくいでしょう。もう二度と会わなければ、それで済むかもしれません。けれども、主なる神さまは約束を破り、自分を裏切ったアダムを探します。「どこにいるのか。」
なぜ探すのでしょうか。必要だから、大切だから、どうしても見つけたいからです。別にどうでも良いものであるなら、テキトーに諦めるでしょう。探していたはずなのに気が付いたら、まったく違うことをしていることだってあります。しかし、主なる神さまは諦めません。アダムを探し出し、そして私たち一人ひとりが、今「どこにいるのか」と呼びかけ探します。私たちはどこにいるのでしょうか。自分があるべき、本当にいるべきところにいるのでしょうか。いつだって主なる神さまに探される者として、その呼びかけに応えられる者でありたいと思います。
















