2025/12/11
キリスト教教育
生徒礼拝
今朝は高3による生徒礼拝が行われました。
生徒礼拝は、司会、お話、奏楽を生徒が担当します。
中高生活で得たもの、感じたことについて、後輩たちに思いを伝える場でもあります。
聖書の箇所は「フィリピの信徒への手紙」4章13節。
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」
以下は生徒によるお話の内容です。
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みなさんには、苦手な学校行事はありますか。
東洋英和には合唱コンクールや球技会、体育祭など、さまざまな行事があります。中学生の頃の私は、ほとんどの行事が苦手でしたが、その中でも特に苦手だったのが楓祭でした。楓祭といえば、多くの人にとっては仲間と協力して作り上げる舞台や展示、部活動の発表など、一年の成果を披露する特別な場として楽しみにされている行事だと思います。けれど、当時の私はその熱の中に自分の居場所を見出すことができず、どこかやるせない時間を過ごしていました。
その頃の私は、幼稚園からの幼馴染に誘ってもらい、軽音楽部に入っていました。初めてのバンド活動はとても楽しく、気心の知れた仲間との時間は充実していました。しかし心の奥底には、いつも落ち着かないものがありました。私には、いわゆる「音楽の才能」というものがありません。そのためにメンバーに迷惑をかけてしまうのではないか、そんな焦りと不安がいつも頭の片隅にありました。
中学1年生の時の楓祭はコロナ禍で縮小され、演奏の場もなく、会場は静かでした。中学2年生になって発表の機会を得たとき、自分なりに一生懸命取り組んでみたものの、同学年と比べてまるで一人だけ幼稚園児のお遊戯会のようで、劣等感ばかりが残りました。今思えば、あの頃の私にとって楓祭は自分の未熟さを否応なしに突きつけられる場だったのかもしれません。
「自分が居てもいいんだ」と思える場所が欲しい。そんな思いに突き動かされ、私は中学3年生の時、友人2人とボードゲーム同好会を立ち上げました。初年度の楓祭では、来場者の方がいらしてくださること自体、あまり期待していませんでした。何もかもが初めてで、準備も手探りだった中、いざ始まってみると予想に反して本当にたくさんの方が立ち寄ってくださいました。私たちはボードゲームで遊びながら、入学希望者の方々に学校生活についてお話しする、という活動をしていました。そのため休憩を取る暇もなく、自分の限界すら分からないまま、ただひたすらにアクセルを踏み続けていました。
楓祭1日目が終わったころには、3人とも完全に疲れ果てていて、「明日、私たち動けるのかな...」と本気で思ったほどでした。それでも友人が「大丈夫。今なら私1人でも回せるから、少し休んでて。」と声をかけてくれました。人手は常に足りていませんでしたが、「助けて」と言えばすぐに駆けつけてくれる友人もいました。そんな友だちの優しさに、私は何度も救われました。顧問の先生も、右も左も分からない私たちを見かねて、装飾を手伝ってくださったり、「やってみたい」という気持ちをいつも真剣に受け止めて、必要なときに的確な助言をくださったりしました。倒れそうなほど大変だったけれど、自ら走り出したその道は、苦しさや疲れさえも楽しくて、息切れしながらも、確かに自分の人生を自分の足で歩いていると感じられるものでした。
周囲の人々の助けに支えられながら数多くの障壁を乗り越え、ボードゲーム同好会は発足から2年後、正式なクラブとして認められることになりました。そして高校2年生の秋、私は部長として、最後の楓祭に臨みました。初めて後輩を持ち、全体に指示を出すという立場に戸惑いながらも、少しずつ団体というものを形にしていく経験は、失敗も含めて、かけがえのない時間でした。
私が軽音学部を辞めた後も、友人たちは変わらず全く同じメンバーで、一緒につけたバンド名で活動を続け、ライブにも誘い続けてくれました。高3の引退ライブに招待してくれた際には、バンドを作って初めてみんなで一緒に弾いた曲を演奏してくれました。その時、私は自分がとてつもない愛の中にいるのだと気づかされました。
軽音楽部を辞めたあの日、私は「できない自分」を恥ずかしいと思っていました。大切な友人たちを残してバンドを辞めたことに、心の底から後悔がないかと問われれば、正直、後悔していないとも言い切れません。実力不足で周囲に迷惑をかけることが怖かった。けれどそれ以上に、「できなくて恥ずかしい」というちっぽけなプライドに支配されていたのだと思います。今振り返れば、本当はそんな見栄など捨てて、子どもらしく全力で体当たりして、失敗して、それでも「やってみよう」と決めた自分を、最後まで信じてあげるべきだったのかもしれない。結局大切なのは「うまくやること」ではなく、「本気で向き合うこと」、そして「楽しむこと」。 きっとこれ以上のものなんて、存在しないのだと思います。ボードゲーム部での活動、英和で出逢った人から受け取った沢山の愛情を通じて、私はようやくそのことに気がつくことができました。
きっと皆さん、勉強や部活、人間関係、様々なものを抱えながら日々を必死に生きていると思います。思い通りにいかないこともあるかもしれません、嫌いなこと、苦手なこと、全て投げ出してしまいたくなる時もあると思います。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」と聖書にあるように、信じるということは私たちに力を与えてくれます。だからこそ「面倒臭い」「失敗したらどうしよう」という言葉が頭に浮かんだ時こそ、自分を信じて、一歩を踏み出し、挑戦してみてください。その結果がどんなものであれ、諦めずに、逃げずにやり通せば、きっとその経験はみなさんが迷った時、立ち止まってしまいそうになった時、何度でも勇気を与えてくれます。英和での人との出逢い、英和での経験。それら全ては何物にも代えがたく、誰にも奪えない皆さんの一生の財産になります。だからこそ中高生という多感な時期に、自分のやりたいこと全てに挑戦してみてください。英和はそんな皆さんをきっと全力で肯定し、応援し、受け止めてくれます。
どうか、皆さんそれぞれの英和での日々を大切に過ごされてください。
















