2025/07/24
キリスト教教育
生徒による賛美礼拝

今朝は高校3年生による賛美礼拝でした。
昨年、学院で創立150年に向けて掲げられたビジョン「Being Active in God's World」を取り上げ、生徒の話のほか、パイプオルガン、ピアノ、バイオリン、ギター、パーカッションも加わって神様を賛美し、また聖フランチェスコの祈りを「英和生の祈り」として翻訳してお祈りを捧げました。
[生徒による賛美礼拝]
夜空の星々が空にとけ、朝の光が楓の園に降りそそぎます。
生まれたての笑顔をたたえて友が登校し、先生たちの表情も優しさに包まれ、希望に輝いています。
ごきげんよう。2025年7月9日水曜日、東洋英和の新しいページが、ふわりと風にめくられて始まります。
聖書は「哀歌」3章23節、「それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。」
イエス様が復活を遂げられたのも朝。朝は、新しい始まりのしるし、命をつなぐ希望の輝きです。
英語では「今、現在」のことをPresentといいます。Today is a present from God.
さあ、賛美とともに、7月9日が胎動を始めます。「詩編100」を、声高らかに歌いましょう。

昨年、東洋英和は創立140年を迎えました。
でも「140」という数字だけでは、この歩みの重さは語りきれません。
遠いカナダから海を越えてやってきた宣教師の先生たちが流した涙と祈り。
そして、この場所に祈りと愛を注いできた先生方や先輩たちの歩み。
その積み重ねの上に、私たちは、今日、ここにいます。
東洋英和の140年は、過去に属するだけの歴史ではなく、私たちが「今」をどう生きるかを照らす、神様からの光の遺産でもあるのです。
その歩みの中にある私たちに、こんな言葉が届けられました。
「敬神奉仕 Being Active in God's World 神さまから委ねられたこの世界で、人々のために、自ら考え、行動する」
この「行動」は、なにも大きな使命や舞台のことではありません。
それは、誰かの痛みに気づくまなざし、小さな優しさを惜しまない手、そして不完全な世界にあって、自分らしく誠実に生きようとする姿のこと。
この礼拝堂の空気の中で、ふと思い出す言葉たちがあります。先日の生徒礼拝で同級生が語ってくれた「タラントのたとえ話」です。
「与えられたものは、誰ひとり"ゼロ"ではなかった。」
「タラントは、他人との比較ではなく、自分自身の心の中で起こる変化のことかもしれない。」
その言葉が静かに、問いかけてきます。
もしかしたら――タラントって、「私の中に閉じ込められた光」のようなものかもしれない。
懐中電灯で暗闇に光を照らすと、光の筋ができます。
でも、その光は何かに当たって反射しなければ、ほんとうの意味で"輝く"ことはできません。
恒星である太陽が地球を照らすとき、地球は、水のきらめき、緑の森の息づかい、そして生命のぬくもりをたたえた、美しい瑠璃色の輝きを放ちます。
その光の反射を見て、太陽は初めて、自らの光の輝きの意味を知るのです。
わたしたちも、きっと、同じです。
あなたが、あなたのタラント――あなたの持つ小さな光を、誰かのために使おうとするとき、その光は、その人の中で反射し、 その人が輝き出す。
その時初めて、あなたは、自分自身の存在意義、尊さを、深く知るのだと思います。
だから――誰かのために動くこと、誰かに仕えるということは、神さまに託された「わたし」という尊い存在の意味を見つけていく旅なのかもしれません。
「信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブの手紙2章17節)
この言葉が語るように、行いは、神さまへの信仰と、私たちがこの世界で生きることとをつなぐ、大切な橋――ブリッジです。
もしBeing Active、行動がなければ......私たちは暗闇の中、孤独になって、迷い子になってしまうかもしれません。
人は、一人では輝けない。
誰かの笑顔の中で、誰かのまなざしに映って、はじめて、自分の光に気づくことができるのです。
反射し合う輝きの中で――私たちは、お互いの「カラー」、その人だけが持つ色を見つけ出し、その存在の大切さに気づいていきます。
孤独の中では見えなかった光。
比べることで曇っていた自分の色も、誰かと関わることで、少しずつ輪郭を取り戻していく。
光と光が出会うとき――それはただの「まぶしさ」ではなく、世界に彩りを与える、神さまの愛の重なりなのです。
そして、その光は、めぐり、つながり、やがて世界をあたためていく。これこそが神さまの世界で生きるということ、Being Active in God's Worldです。
世界には、悲しいことがたくさんあります。でも、同じくらい、美しいこともあるのです。
与えられた出会いの中で、あなたらしく、軽やかに、伸びやかに、この世界に仕えていってほしいです。
それが私たち一人ひとりが綴る物語"Being Active in God's World"、今日という日に書き加えられる――たしかな、1ページなのです。
主の愛が、英和に、ここに集う一人ひとりの歩みに、今日も豊かに注がれますように。

最後に、音楽と祈りを結ぶこの礼拝の締めくくりとして、聖フランチェスコの「平和の祈り」の一部を、「英和生の祈り」としてアレンジしました。
神様、私たちをあなたの平和の道具として用いてください。
憎しみのあるところには、愛を、争いのあるところには、ゆるしの風を、分裂の時には、共感する心を届ける者としてください。
疑いや不安の中には、信じる力を、悲しみには、やさしい慰めを、絶望の夜には、希望の朝をお与えください。
どうか 私たちを、生き方であなたを伝える器としてください。
正しさではなく、やさしさで愛と平和をこの世界に届けることができますように。アーメン。
















