2024/09/12
東洋英和の日々
高3による生徒礼拝
今朝は高3による生徒礼拝が行われました。
聖書の箇所は「テサロニケの信徒への手紙1」5章16〜18節でした。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
高3が後輩たちへ、聖書のことばを通して6年間の思いを伝える礼拝は、東洋英和が続けてきた教育が一人一人に根付き、次世代へ受け継がれていくようで、大講堂があたたかい空気につつまれました。
[高3による生徒礼拝]
夏休みが終わり約一週間が経ちましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。夏を恋しく思う人、友達や先生方と会えて嬉しい人、様々いると思います。私の場合、夏休み中は夏期講習や自習をするため何度か学校に来たものの、沢山の生徒で賑やかな学校の方が英和らしくて安心するなと思う今日このごろです。
この場所に通い続け、気づけば高校3年生。その中で英和の一番好きなところを挙げるとするならば、「笑顔が絶えないこと」だと答えます。校内を歩けばどこからか、いささか豪快すぎる笑い声が聞こえてくるのも英和のチャームポイントですよね。
かく言う私も自分自身、中高6年間で笑顔が増えたことを実感しています。1人でのんびり過ごすことの多かった幼少期。幼稚園・小学校の卒業アルバムに写る自分は、笑い慣れていないせいか苦笑いのような表情をしていました。一方中高に入学してからは打って変わって、学年クラス関係なく人と関わる機会が多くなりました。マイペースな幼少期も自分なりに楽しんでいたつもりでしたが、沢山の人との関わりを経て、それまで以上に毎日が楽しく色鮮やかなものとなっていきました。
そんな賑やかな日常から一転し勉強に打ち込んだ今年の夏。きっと自分は笑顔よりも、眉間にぐっとシワを寄せて、気難しい表情をしている瞬間の方が多かったと思います。おかげで体も表情筋もガチガチです。友達に会いたいなという一抹の寂しさを抱えながら過ごす夏休みのある日、私はとある文章に出会うことになります。「笑い」という寺田寅彦氏の随筆を現代文で取り組んだ際、こんな一文が目に止まりました。「笑うから楽しいのであって、楽しいから笑うのではない」
落ち込んでいたはずなのに、友達や先生と会っておしゃべりしていたら、気づけば笑顔になっていた。そんな経験が誰しも一度はあると思います。私達は知らず知らずの内に、周りの人から笑顔を"もらっている"のかもしれない。そのことに気付かされてから私自身の英和生活を振り返ると、幸せで笑顔あふれる思い出には必ず、誰かがそばにいてくれたことを知りました。
6年間、思うようにいかず自信を無くしても、部活に行けば一緒に悩んでくれる同輩や、学年を超えた仲間がいました。日々の忙しなさに疲れてしまっても、野尻に帰れば思いっきりはしゃげるキャンパーがいました。毎朝眠くてしんどくても、学校に行けば応援してくださる先生方や、互いを励まし合える友達がいました。自分にはもったいないくらい素敵な人たちと出会えた日々は、自然と笑みがこぼれてしまうような温かい時間で。自分は沢山の笑顔をプレゼントしてもらっていたことに、今やっと気づくことができました。
ここでもう一度、先ほど読んでいただいた聖書箇所を思い出したいです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
実をいうと先週の一週間、私は毎朝この日のことを思って「数日後にあそこに立つのか...」と緊張でお腹をきりきりさせていました。幼稚園で礼拝という文化を知って14年、先週ほど真面目に説教を聞いたことはきっと無かったでしょう。テスト期間でも外泊行事でも、朝夕必ず行われる礼拝。毎日違う聖句を通して説教者が教訓や思いを共有する時間には、授業とはまた違う学びがあります。そして賛美歌を歌い目を瞑って祈ればいつも、特に先週は、心が少しほぐれるように感じました。正直私は、未だに神様のことをよく学べていません。でも祈りの瞬間だけは、いつもより近くにいてくださる気がしています。まるでそれは、普段友達が何ともなしに隣にいてくれるように。
そして今日、私にとって特別な朝がやってきました。喜び、祈り、感謝について語られるこの聖句を選んだのは、私が英和で過ごした時間の精一杯が、この言葉に込められていると思えたからです。
神様は私達に、どんな時も喜び、祈り、感謝することを望みました。ですが、毎日そう上手く物事は運びません。どうしても笑顔になれない日があります。祈っても心がざわつきっぱなしな日があります。人に感謝をする心の余裕が無い日があります。ですが忘れたくないのは、これらを全て1人でやり遂げなければならない訳では無い、ということです。
「人は孤独の中で笑顔にはなり得ない。」そして「笑うからこそ楽しいのである。」私達は多くの人と出会い関係性を築く中で、互いに笑顔をプレゼントし合っているのだと思います。だから笑顔になれそうもない日は、不安なことばかり意識してしまうことを一旦やめて、周りを見渡してみてほしいのです。きっと自分と共に笑い泣いてくれる、頼っていいよと言ってくれる人たちがそばにいることに気づくと思います。そして毎朝の礼拝で祈り、神様のお傍で自分と向き合うことで、大失敗した昨日よりちょっとだけ自分を受け入れられるようになるかもしれない。そんな、互いの喜びを分かち合い、神様の近くで過ごす学校生活が当たり前でないことを思い出すことで、なんともない日常が特別なことを知り感謝することができるかもしれない。この聖句で神様が望むことは自ら実行しようとせずとも、もうすでに英和での生活の随所に散りばめられているなのではと思います。それってとても素敵なことではないでしょうか。
私には今年度、卒業に向けて一つの目標があります。それは「最後まで笑顔」です。今は数カ月後の自分がどんな気持ちでいて、どんな未来を思い描いているかは全く分かりません。夏が終わり、刻一刻近づく人生1番の大勝負と英和からの卒業に挟まれ、感情が忙しいです。でも、お気楽かもしれませんが、この学び舎で出会えた人たち、神様と、少しでも多くの時間を楽しく送りたいのです。沢山の笑顔をもらったからこそ、自分の大切な人たちの笑顔を目に焼き付けておきたい。同じ大講堂で礼拝する時間を忘れないでいたい。伝えられる限りの感謝を届けていきたい。私一人ではなく周りの人たちと一緒に、喜び、祈り、感謝するような残りの英和生活を謳歌していければと思っています。