五感で楽しむ子ども時代の体験が残すもの
1月23日、園で5年振りにお餅つきをしました。私が庭でかまどの火の番をしていると子どもたちが集まってきました。子どもたちは焚き火の匂いがすると何か楽しいこと、それも美味しいことが始まるのではないかと思うようです。
(子)「何をしているの?」「この匂いは焼き芋の匂いかな〜」
(私)「お餅つきをするからお米をふかしているのよ」
(子)「それはなあに?」
(私)「木をくべて火を燃やしているのよ」
(子)「ふーん」「それはなに?」
(子)「うすっていうのよ。これでお餅をつくのよ」
子どもたちの口から、次々に質問が投げかけられます。
私は子どもたちの顔を見ながら、私自身の子どもの頃のことを思い出していました。祖母の家では毎年、年末にお正月に食べるお餅をつきました。物置きからかまどを出してきて、そこで木をくべて餅米をふかします。子どもの私は「なんでお餅をつくの?」「なんでガス台を使わないの?」と祖母がかまどに薪をくべている隣りで聞きました。祖母は「お餅をつかなかったらお正月に食べるお餅がないじゃない」「かまどで蒸せばお米が美味しくなるよ。昔からこうやって餅米をふかしてきたんだよ」と答えました。私は心の中で(お餅つきなんかしなくてもお餅はお店屋さんで売っているのになあ。おばあちゃんは知らないのかなあ)と思っていましたが、それは口には出さずにいました。けれど親戚が集まってのお餅つきは楽しく、私はかまどの周りをウロウロしながら薪をくべる手伝いをしたり、餅米が蒸し上がるのを待ちながら、ふかし上がる前の餅米の味見をさせてもらったりしました。少し大きくなると、ついたお餅をのし餅にする手伝いをしたり、その日に食べるお餅をちぎってきなこやあんこをからめたりする手伝いをするようになりました。祖母に「餅米は何分くらいでふかし上がるの?」と聞くと、祖母は「セイロから上がるゆげを見ればふかし上がったかどうかわかる」と教えてくれました。「ゆげが立ったらだいたいふかし上がっている」とのこと。その時は納得したのですが、これは今だによくわからず、私は時間を測って、味見をしないとふかし上がったかどうか心配になります。
かまどの薪が燃える匂いやふかし上がった時の餅米の匂い、餅米がつき上がっていく様子は私の中に祖母とのやりとりとともに温かい思い出として残っています。
私たちはお餅つきをすることの意味を様々に考えています。お餅ができる過程を子どもに見せたいという思いもあります。かまどで薪をくべて餅米をふかす様子や、お米がふかされ、杵でこねてつくことでお餅になっていく様子を見ることも大切にしたいことです。私たちや保護者の方が手をかけて楽しく作り上げていく姿を子どもに見せたいとも思います。そして何よりもお餅つきの時の匂いや空気が子どもの心に嬉しい記憶と共に残ってくれたら嬉しいなと思います。
(永瀬 真澄)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5章16〜18節)
