かえでの保育だより

ドングリを召し上がれ

                  

「神は言われた。『地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。』そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。」            聖書 創世記1章11節、12節

秋は、様々な実りの季節ですが、子どもたちにとって秋を感じる身近な実りに、ドングリがあると思います。落ちているのを見ると思わず、幾つも幾つも拾いたくなってしまいます。子どもの頃、ドングリ拾いが、大きな楽しみの一つだった人も多いことでしょう。神様がお造りになった美しく楽しい自然の恵みを子どもたちと共に、今年も大いに味わいたいと思います。そう思わされるには、理由があります。

最近徐々に周囲の自然環境が減ったためか、子どもの頃にドングリ拾いの経験があまりなく、楽しむどころか、嫌がる人たちにも出会うようになりました。大学で保育を学ぶ学生たちなのですが、ドングリの実を拾うことを拒む理由は、「手が汚れる」「虫が出てくる可能性もあるから」ということです。ドングリを炒って食べてみるという授業に至っては、以前は喜んで食べる人が大半でしたが、最近徐々に「ドングリを召し上がれ」と言う私を、驚きの目で見つめる人が増えてきました。「買ったものじゃないのに。本当に食べるんですか?地面に落ちているものを食べるなんて、できません。汚いし、気持ちが悪い。」等々と、あくまで受け入れられない人もいます。栗は、店で売っているものだから安心なのでしょうか。

ドングリに触れなくても、食べられなくても、そのこと自体には特に大きな問題はないでしょう。ただ、私には体験的に心配に思えることがあります。それは、ドングリのような自然物を汚いと遠ざける人には、他のことに対しても心が閉じていたり、物事に対して意欲的でなかったり、実習のような体験的で豊かなコミュニケーションが求められることに苦手意識を持っている人が多いと感じるからです。文科省が行った調査でも、幼い時に自然体験をした人は、物事への意欲やコミュニケーション能力が高いという結果が出ており、やはり、と思わされました。

さて、美味しいドングリをご紹介します。スダジイ、ツブラジイ、マテバシイです。インターネットで検索すると、葉や実の形が分かり易いと思います。サラダボールなどに水をはって入れ、沈んだものだけを取り出して、フライパンなどで乾煎りしてみてください。生でも食べられますが、煎るとさらに美味しくなります。

ドングリは爪楊枝を指してコマを作ることもできますし、幾つかの種類をただ厚紙に貼り付けて、壁飾りにしても素敵です。幼稚園でも楽しみますが、是非、ご家庭でもドングリに親しんでいただければと思います。                 山下久美



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