かえでの保育だより

驚くべき美しい世界の発見

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。」  聖書 創世記1章31節より

  ある初夏の休日に、なぜか私は父と2人だけで家に居ました。私は3人きょうだいの末っ子で、祖母と叔父も同居している7人家族でしたから、我が家は常に賑やかでした。

  ところがその日、何が起きたのか、私は父と2人きりで家に取り残されていました。まだ5歳ぐらいだった私は、いつも母か5つ年上の姉の傍に居て甘えることが多かったので、父しかいないその状況に何だか落ち着かず、そわそわするような気持だったことを覚えています。私のそんな心細い気持ちを、父は知ってか知らずか、日本手ぬぐいを出して、それを釣りに使う魚の網の先に、ソックスのような形に縫い付け始めました。家事を一切しなかった父が、意外にも手が器用であることをその時に知りました。父はその作業が終わると、「久美、千鳥ヶ淵でボートに乗せてあげる。」と言い、私を連れ出してくれました。その頃、私たち家族は千代田区の下町、神保町に住んでいましたので、乗り場までは徒歩10分ぐらいだったように思います。ボートに乗ると父は日本手ぬぐいを縫い付けた網を取り出し、ボートの端に紐で繋いで漕ぎだしました。そして時々ボートを止めては、用意したバケツのなかで、その網(手ぬぐい)を裏返しにしてぬぐい、何度かそれを繰り返しています。私はただただ水面を走る手漕ぎボートに乗っていることが嬉しく、はしゃいでいました。そしてその後、濃い緑色の水が入ったバケツを父が持っているのを不思議に思いながら、帰宅しました。家に戻ると、父がどこからか顕微鏡を持ってきて、先ほどのバケツの中の水をスポイトで吸ってスライドグラスに垂らし、私に覗かせてくれました。

  それを覗いたときの驚きと踊るような楽しさは、生涯忘れられません。不思議な美しい別世界がその中に拡がっていました。丸や棒のような形の緑色の植物プランクトン、その合間を勢いよく泳ぎまわる動物プランクトン、大きさも形も泳ぎ方もどれも違っていて、まるで万華鏡の中のように美しく、変化していく様子に私はすっかり魅了されてしまいました。中学生になってから、父がその時していたことの意味を知りました。プランクトンネットがなかったので、自作して私に楽しい世界を見せてくれたのです。父も普段相手をしたことのない末娘とその日2人でどう過ごそうか考えあぐねてのことだったかもしれません。

  神様のお造りなった世界は、何と美しく不思議に満ちていることでしょうか。

  遠くまで出かけなくても、もし近くに池が有ったら、日本手ぬぐいで水をすくったものを顕微鏡で見てみてはいかがでしょう。顕微鏡を片目で見ることが幼児にとっては難しいこともありますが、今は双眼で見たり、パソコン画面に写して見ることができるものもあります。

別世界へお子さんをいざなうことができるかもしれません。            山下久美



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