それぞれに与えられている時
「神はすべてを時宜にかなうようにつくり、また、永遠を思う心を人に与えられる。」
旧約聖書 コヘレトの言葉 3章11節より
4月に入園したばかりの年少組の子どもたち、また進級クラスに新しい人間関係の出会いがあった年中・年長組の子どもたち、どの子どもたちにも日々のドラマがありました。毎日、子どもたち同士の中で、そして子どもと保育者の間で、時には園のカメや園庭に居る小さな生き物との間で、諸々の物語が紡ぎ出されていきます。一人ひとりに毎日ぶつかる様々な(良い意味でも)課題があり、それを日々乗り越えながら、あるいは踏みしめながら、着実に自身の足で自分の世界を広げている姿が見えます。
子どもたちが、思うままに自分を発揮して遊ぶ姿は何にも増して輝き、美しいものですが、その中には必ずしも満足とはいかない場面も見えます。しかしそれらの経験の積み重ねもまた成長してくために重要な土台となっていくことでしょう。
そして生活の場面では子どもたちは「自分がするべきこと」、「した方が良いこと」がまだ分からないこともありますので、生活していく上で必要なこと、例えばトイレや清潔の習慣、危険の回避や人との関わりにおけるマナーなどについては、やがて子どもが自信を持って生活できるようになっていくために、大人がリードしたり提案したりを繰り返していく必要があります。
この大人の役割である様々なことに対する言葉がけはいつ、あるいはいつ頃すれば良いのでしょうか。一人ひとりの「その時」を見抜くことの難しさを、幼児教育に携わって50年近く経とうとしている今も思います。ただ以前と違うことは、その時が完全に分かるとは言えなくとも、いたずらに不安がることなく、「きっと大丈夫」と想えるということです。言葉がけに対して「ああ、少し早かったかしら」というときも、「時を逃して少し遅くなってしまったかしら」と思い迷うこともしばしばですが、真剣に時を見つめて過ごしていれば、子どもたちが教えてくれるという想いです。
ご家庭でも悩まれることがあるかもしれません。私たち保育者は、神さまが定めてくださった一人ひとりの「時」を、ご家庭と一緒に、焦らずにしかし着実に見つめていきたいと思っています。
山下 久美
*時宜(じぎ):時機が適していること。「―にかなう」。ちょうどよい時。ほどよいころあい。