それぞれの春に希望をもって
明るい日ざしが庭に注がれている朝、ジャングルジムの上にじっとしている年長組のSちゃんがいました。私はずいぶん長くその場にいるSちゃんの姿に心がとまり近づいていって「Sちゃん、何かを見ているの?」と聞きました。すると「こんな日は、ここで空とみんなを見ているのが気持ちいいのよ」とこたえました。そこで私は「そうなのね、どれどれ私も・・・」と、Sちゃんの隣に座り、同じように空と庭を眺めました。空は雲ひとつなく青く広がり、庭にはそこここに子どもがいました。砂場でせっせと穴を掘っている子ども、缶蹴りの缶を蹴るすきをねらいながら木の陰や植え込みの裏に隠れている子ども、長なわとびをけらけらと笑いながら跳ぶ子ども、ままごと小屋の屋根の上で寝転んでいる子ども、花壇の脇にしゃがみこみ少しずつ伸びてきているチューリップの芽を見ている子ども、自分のお気に入りの三輪車に乗りたくて「かしてよー」と何度も交渉している子ども・・・・。美しい空の下に子どもの世界があり、いくつもの物語がまるで短編映画のように同時に進んでいました。「庭は生きている、子どもたちは今を生きている」と思わされました。
3年間ここで遊び色々な喜びと葛藤の体験をしてきたSちゃんには、目にとびこんでくる光景の中にいる子どもの楽しみや時には悲しみがよくわかり、一緒に心を動かしているのだとも思えました。そのおもしろさも含めて「気持ちいい」と表していたのかも知れません。私にはその気持ちが伝わりました。やがて、SちゃんはMちゃんから「Sちゃーん、ご飯を作る時間よ、そろそろ戻ってきてー」と呼ばれ、「あっ、そうだったね」と、ジャングルジムから降り、タワーの下に敷いたござのお家に帰っていきました。
子どもがその日やっていた遊びの名称だけを言えば、「穴掘り」とか「缶蹴り」などにまとめられてしまいます。しかしその中身を見れば、遊びの始まりから終わりまでに、どんなに多くの心とからだの体験をしているかは語り尽くせないほどです。《子どもの一日には重みがあり、しっかり遊ぶことが心とからだと人との関わりを育んでいる。今日の体験が明日のものさしとなる》ということは、今も昔もいつも、確かなことです。創立50周年のこの年度に感謝とともに確認できたことのひとつは、かえで幼稚園が子どもの時を思い、自発的な遊びを守り続けられたことの恵みでした。
一人ひとりの体験のものさしの目盛りは、これからの日々にますます増えていきます。そう思うと神さまに守られ、生かされ、今日という日をまた与えられていることがとても嬉しいことに思えます。
もうすぐかえで幼稚園を巣立ち小学生となる年長組の子どもたちにも、4月に進級する年中組・年少組の子どもたちにも、そして私たち大人にも、新しい春の日が備えられています。
希望をもって、今日につながる明日へと漕ぎ出していきましょう。
主イエスさまがともにいてくださいますから「おそれはあらじ」です。
「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。」 旧約聖書サムエル記上 25:6
大漉知子