「地べたと子ども」
最近出会った美しい写真がたくさん載っている『心をとめて 森を歩く』(小西貴士写真とことば 河邉貴子文 フレーベル館)という本の帯に気になることばが書かれていました。
「ていねいに歩くことです それがただひとつの切符です」
切符とは?と思いながらページをめくると、文中に「心をとめて歩くことをこころがけていると豊かな気持ちになり、心の可動域が広がる。『これしかない』という事態に陥った時でも、『これだけある』と思い直せるかもしれない」と綴られていました。(文章を要約しています)
先日、年長組の子どもたちと菅生緑地に出かけました。菅生緑地の中の地面は日陰には霜柱がまだ残っていてキラキラ輝いています。霜柱の隣には土の塊が凍っていてこれもまた手に取るとキラキラ光ります。一方、日なたはおひさまがあたり、日差しが温かく、伸びている草が温かくサラサラしています。そしてちょうどその間は霜柱が溶けて、土がぬかるみヌルヌルしています。子どもたちは木立の中で霜柱を踏んだり、大きな土の塊を持ち上げて「見て〜、キラキラしてる」と眺めたりしていました。また、日なたではコロリと寝転んで「気持ちいい〜」と日差しを感じていました。ドロドロのぬかるみもわざわざ歩き、「ドロドロだ〜」「転ばないように気をつけるぞ〜」と感触を楽しみ、でもやっぱり尻餅をついて「わ〜やられた〜」とAちゃん。ドロドロになった手とズボンを見せます。私が「着替える?」と聞くとAちゃんは「う〜ん」と考えて「おひさまで乾かすからいいや」と走っていってしまいました。
大自然や深い森ではないけれど、子どもたちの周りにはたくさんの心にとめるものがあり、それを歩いて、見て、触って感じることが子どもを豊かに育むのだと実感しました。
最初に挙げた本の中にはこのようなことばも書かれていました。
「楽しいことや嬉しいこと、神さまの美しい手仕事、それらの多くは地べた近くで起きているらしい。〜中略〜私たちは、地べたから何センチも身を離して暮らしているうちに、高い位置から、つまり自分の目線からのみ物事を見るようになって、小さな芽吹きを踏み潰していることにも気づかなくなってしまっているのだろうか。」
子どもと共に大切なことを見過ごさないようにしたいと思い直すことばです。
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
(創世記 1章31節)
永瀬 真澄