新しい年を迎えて
「何事も愛をもって行いなさい」
(コリントの信徒への手紙1 16章14節)
新年おめでとうございます。
穏やかなお正月を迎えられたと思っていた矢先の能登半島地震には、皆さまも驚きと痛みを感じていらっしゃることでしょう。被災地にご親戚やご友人がいらっしゃる方の心中には、大きな心配と悲しみが続いているとお察しします。ただただ平安を祈ることしかできないのですが、皆さまとご一緒に祈り、できる支援を考えていきたいと思っています。
私の通う教会では毎年の元旦礼拝で『日々の聖句(日本版ローズンゲン)』(ベデスダ奉仕女母の家 出版)の「年の聖句」からのメッセージを聞きます。2024年は上記の「何事も愛をもって行いなさい」が年の聖句に選ばれています。「選ばれた」というのは、もともとこの本『LOSUNGEN』はドイツのヘルンフート兄弟団が1728年から発行している聖書日課であり、毎年聖書の中からくじで選び出された365日分の聖句で構成されているからです。深い祈りをもっての「くじ」の結果は神さまから与えられるものであると信じられます。
この元旦も、私は牧師のみことばのとりつぎにうなずき、振り返させられ、希望をいただきました。牧師は「『何事も愛をもって行いなさい』は、誰も反対しないことであり、誰もがそうあれば良いと思うことでしょう。でも美しいことばだからこそ重い。・・・こんなことばは聞かない方がよかったと思うこともあるでしょう」と言われました。心が打たれる思いでした。愛を持ち続けられない自分がいるからです。その後牧師は「ともに生きる」ということばについても、「美しいことばではあるけれど、本当にそのようなことができるでしょうか・・・」と語られました。できません・・・前述の被災された方に向けても、心配し祈ることはできても、自分の都合や楽しみを置いてまでともに生きることは私には難しいことです。ぐっときていた私でしたが、やがて語られた牧師の導きに、心に安心を与えられました。
牧師は、「しかし、本当にともに生きてくださる方がたった一人います。それがイエスさまです。愛の無い私であっても、その私とともに生きてくださる方がイエスさまです」と言われました。それは希望に導くメッセージでした。続いて牧師は「『愛をもって』のギリシャ語の直訳は、『愛の中で』という意味です。神は愛です。ですから何事も神の中で、イエスさまの愛の中で行いなさい。愛することのできない私であっても愛してくださる主の愛の中にとどまり続けていなさい。そうしていれば、祈りが生まれます。祈りは愛です」と言われました。
ですから私はこの年も子どもたちと、保護者の方がたと、先生たちと、「イエスさまのお名前を通して」祈り続けたいと思います。愛されていることへの感謝を祈り、戦いや地震や病の中に苦しんでいる方の平和を願って祈ります。
アドベントからクリスマスにかけて子どもたちとともにくりかえし賛美した「♪嬉しいお知らせ聞こえてきたよ。神の子イエスさまお生まれになった。嬉しい時も、悲しい時も、ともにおられる心の光♪」であるイエスさまの愛の中で、私たちがこの1年も、そしてこれからずっと、生かされ歩ませていただけますように祈ります。
特に年長組の方々には、イエスさまの光の中に守られていることを心に覚えて幼稚園から巣立っていけますようにと願っています。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
大漉知子