かえでの保育だより

「みててね」

保育の中で、子どもたちからかけられる言葉で1番多いのはなんだろうと考えてみると、「せんせい、みててね!」という言葉かもしれない...と思います。それは以前、勤めていた保育園でも、かえで幼稚園でもずっと変わりません。子どもから「みててね!」と言われた時、私は「みているね」と応え、心を向けてしっかりとみるようにしています。子どもたちはぶらさがったり、高いところからすべり降りたり、フラフープを回したり、粘土をこねたり等々を私にみせ、そのことをし終えた時に必ずこちらをふり返ります。そして目が合うとにっこりします。先生みてたかな...やっぱりみてた!という嬉しい思いが伝わってきます。子どもの「みててね」に応えるということは信頼に応えることなのだ、とそのたびに思わされます。

しかしいつもそうできるわけではありません。子どもたちの「みててね」に、応えられないこともあります。そのような時は「今、転んじゃった○○ちゃんをみているから、あとでみせてね」等と話しています。私が気をつけているのは、「みているよ」と言いながら別のことを同時にしたり、子どもがみていてくれたかな...とふり返ってこちらを見た時に、私が別の方をみていることがないようにすることです。なるべく、言葉だけの<みている>にならないようにしたいと思っています。子どもの要求の全てに応えることはしなくても良いことですが、みられないときは正直に、今はできないことを話して次の機会をつくることが大切だと思っています。みてくれていた、と子どもが感じることは〝愛されている〞ことを感じる大事な体験のひとつなのではないでしょうか。

子どもたちの好きな「やさしいめが」という賛美歌には、イエスさまが、いつもみていてくださることが歌われています。イエスさまが、みていてくださる。やさしいまなざしで、みていて愛していてくださる。それは子どもにとっても、私たち大人にとっても、どんなに安心で嬉しいことでしょう。

子どもの「みてて!」に応える視線が、やさしいものでありますように...評価したりくらべたりする冷たいものではなく、かぎりなくあたたかくありますようにと、自らに問いながら、祈っています。

 

やさしいめが きよらかなめが 

きょうもわたしを みていてくださる

まっすぐにあるきなさいとみていてくださる

「やさしいめが」深沢秋子詞 小山章三曲

 こどもさんびか2 日本基督教団出版局

              

11月には、かえで幼稚園の創立50周年記念の礼拝を守ります。50年の間、神さま、イエスさまが共にいてくださり、やさしいまなざしでかえで幼稚園の子どもたちを包んでいてくださったことを思い、感謝します。そして51年目からも、子どもたちがいきいきと遊び、育まれていく日々が神さまに守られて紡がれていきますようにと願っています。

 

「見よ、わたしはあなたと共にいる」

 創世記28章15節より

 

 片岡 朝子

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