かえでの保育だより

「わ」

 寒さが緩み日ざしが暖かく感じられた2月のある日、「せんせーい、見て」と子どもたちが差し出してきた箱の中には、小さなテントウムシと薄い青色のオオイヌフグリの花が入っていました。「まぁ、もうテントウムシが出てきたのね。春ね」と私が伝えると、子どもたちは嬉しそうに微笑み、「春なの」と言いました。その日、冬眠していたカメのジョイも、ベビーバスの湿った落ち葉の寝床の中から這い出て来ました。まるで「こんなに明るく暖かい光の日には、寝てなんかいられないよ」と言っているようでした。自然の営みは面白く美しく、季節は確実にめぐってきます。

  3年前新型コロナウイルスの緊急事態宣言のために入園式が6月となった子どもたちが、様々な制約のある中にも遊び、交わり、生活し、春夏秋冬を感じ、そして礼拝する時間を大切に重ねて、この3月にかえで幼稚園を巣立っていきます。消毒・マスク・密を避けるという3年は、私や保護者のみなさまにとっては人生の中での特別な3年間でしたが、子どもたちにとってはそれが普通になっていることに切なさも覚えます。しかしもう一方で、人の適応力の強さも感じます。現実を受け入れ、良いものに向かって、足りないものを求め補っていくために想像したり工夫したりすることは、私たちに与えられる大切な力だと思います。

私は今、私たちのその力を支える「わ」を思っています。 

「輪」・・・出会い関わりなかまとなってつながった輪の中の一人となること

     は安心で嬉しいことです。

「和」・・・違いをもちながらも共有の願いや楽しみをもっている者同士が

混じり合い、調和し、親しむことは幸せなことです。和を保つことを和する・和す(なごす)とも言いますが、そのことばには「やわらかにする、おだやかにする、争っていたものが仲直りする」というような意味があることもあらためて大事に思います。

  今年度の父母の会のテーマは、「愛されて 今、わたしを生きる -かえでのわの中で- 」でした。子どもも大人も「かえでのわの中で」わたしを生きてきた日々だったと思います。そこには輪に入る喜びも輪に入るための緊張や不安も、調和する幸せも調和できない葛藤もあったことでしょう。それは、ここに交わる場と時間があり、人(友)がいたからこそです。イエスさまは、人との関係の中で揺れる私たちの心も知っていてくださり、他者とつながって生きる道をみことばをもって教え導いてくださっています。

  それぞれの「和」が紡ぐものが「平和」です。自分自身の平和がやがて家庭やなかま(集団)の平和につながり、世界の平和につながり、そしてそれがまた自分自身の平和を守り支えると信じます。

 今、園庭で輪になって遊び踊り歌う子どもたちの笑顔を見ながら、また挨拶を交わしおしゃべりをしている保護者の笑顔を見ながら、「かえで幼稚園の輪の中で、神さまに愛されていることを知り、ここに生きて感じて祈り合った日々が、平和を願い大切にする心の源となりますよう育んでください」と祈っている私です。

  安心と希望と平和への願いをもって巣立っていく親子に、心より「ご卒業おめでとうございます。これからも主イエスさまがともにいてくださいます。」と、お伝えしたいと思います。

  進級する親子の「かえでのわ」の中での新しい春夏秋冬に、どのような物語が待っているかが楽しみです。ともに大切に過ごしましょう。

  2022年度の保育へのご理解とご協力、父母の会の歩みに感謝いたします。

 「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らされました」

(エフェソの信徒への手紙2:17)

「隣人を自分のように愛しなさい」  (マルコによる福音書12・31より)

                   大漉知子

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