喜びを分かち合い、平和を祈るクリスマス ―イエスさまが共にいてくださる平和―
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書2章14節
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は「神は我々と共におられる」という意味である。
マタイによる福音書1章23節
クリスマスは、待ち望む楽しみや喜びを分かち合う幸せが、家庭の中にも園の中にも与えられる時です。この年も、クリスマスまでのアドベントの時を、子どもたちと保護者の方々とともに、大切に過ごしたいと思っています。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「クリスマス」の意味はクリスト(キリスト)マス(礼拝)、「キリスト礼拝」です。不安も多くある2022年の今、私は礼拝を通して「聖書に描かれている本当のクリスマスの福音(good news)を知ることができますように」そして「イエスさまが『わたしの心のまことの光』『平和の君』としてお生まれくださり、その方がいつでもどこでもどのような時にも愛して守ってくださっているという平和を受け取れますように」とあらためて願い、祈っています。
イエスさまは、人間のお姿で、しかも馬や牛のえさ箱である飼い葉桶に眠る小さな赤ちゃんのお姿で私たちのところにいらしてくださった救い主です。神の御子でありながら、最も低いところへと降りていらしてくださいました。
野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは、そのことを天使によって知らされ、急いで馬小屋に行きイエスさまにお会いしました。異国の博士たちは、星に導かれて長い旅の果てにイエスさまにお会いし礼拝を捧げました。羊飼いも博士も、イエスさまにお会いでき、どんなに嬉しかったことでしょう。心が安心に満たされ、これまでとは全く違う生き方へと導かれていきました。そしてまたいつもの自分の日常へと戻って行きました。確かな存在に愛されその方によってしっかりとした支えと生き方の道しるべを与えられたことで、深い安心と希望の中にいざなわれていったのです。
私たちもそうでありたいと思います。私たちの毎日には、喜びや恵みもたくさんありますが、穏やかでいられないできごともありそれに揺れ悩むものです。病や災害や貧困や戦争や人間関係のもつれ等、平和で無いと感じられることも多くあります。しかしイエスさまが共にいてくださることで、心の中に励ましと望みと祈りを与えられます。これがイエスさまの与えてくださる平和です。私自身、これまでの年月をふりかえり、そのことを伝えたいと思っています。
イエスさまは愛をもって私たちに「憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、互いに忍び合い、赦しあう」ことを身につけられるようにと、教え導いてくださっています。(コロサイの信徒への手紙3章12節~14節を参照) 簡単なことではありませんが、イエスさまに支えられ自らも平和をつくり出す一歩を踏み出すクリスマスにもしたいと思います。
何もできなくとも、家族や友人やコイノニアの子どもたちや戦争の中にいる人々の平和を祈ることから始めることができます。祈り合いましょう。
アドベントに入り、子どもたちは遊びの中でページェント(イエスさまのお生まれをめぐる聖書の物語の劇)を毎日繰り広げることでしょう。いつの時からか、ページェントの終わりの場面では、その時の劇のなかまたちがぞろぞろと幼稚園中を歌いながら練り歩き、各部屋(オリーブの部屋から木工室まで)と庭に向かって何度も「イエスさまがお生まれになりましたー。ハレルヤ―」と伝えるようになりました。とても喜びにあふれた光景です。
クリスマスにお生まれになったイエスさまが、子どもたちの心の中にずっとお住まい続けて、子どもたちの生涯の平和を支えてくださいますようにと、心から祈ります。
すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。
このかたこそ主なるキリストである。
(口語訳聖書 ルカによる福音書2章10節・11節)
大漉 知子