かえでの保育だより

子どもの日常の幸せ

夏の保育(メープル)の朝、私は桜の木の下のベンチにAちゃんと肩を並べて座っていました。よく晴れた日に、茂った葉がつくる木陰はとても心地よいものです。園庭の向こうには、日差しの中で頭を寄せ合ってアリの巣をのぞいている子どもたち、おしゃべりをしながらブランコを大きくこいでいる子どもたち、砂場で一人で黙々と堀った穴に、バケツにくんだ水を何回もジャーと流しこんでいる子どもが見えます。そしてままごと小屋ではBちゃんがせっせとお料理をしていました。

しばらくすると、Bちゃんがお皿に砂とちぎった葉っぱを混ぜたものを入れて私のところに持って来て、「おいしいもの作りました。どうぞ」と、差しだしました。私は、「あら、嬉しい。いただきます」と受け取り、ぱくぱくと食べるしぐさをし、「まあ、とってもおいしい」と言いました。Bちゃんは、「なんでしょう?」と聞きます。「これはおいしいカレーですね」と答えましたら、「はい、そうです」と笑い、そのお皿を受け取ってままごと小屋に帰って行きました。

ほどなく、Bちゃんはまたお皿を持って来ました。今度はお皿の中に砂と小石と房から落ちてしまったブドウが入っています。「おいしいもの作りました。どうぞ」私は、また「あら嬉しい。いただきます」と言いながら、ぱくぱく食べます。そしてBちゃんの問いかけに「これは、野菜いっぱいのサラダですね」と答え、Bちゃんは「はい、そうです」と笑いました。そのやりとりを数回した後、Bちゃんの持って来かたが変わりました。「はい、おいしいポタポタバンビーです」とか「今度は、フルコンキリリンです」等と、作ったものに名前をつけて来ました。私が「まあ、フルコンキリリンですね・・おいしい」等と食べますと、Bちゃんは、満足そうに「そうでしょ」と言います。

 穏やかな時間の流れの中に続くこのくりかえしは、幸せな時でした。・・・やがて、アリの巣をのぞいていた子どもの一人が、虫取り網でアゲハチョウをつかまえ、「せんせーい、見てー」とやってきたことで、Bちゃんのご飯作りは次の興味へと移っていきました。

  秋の日も、子ども一人ひとりが心を動かし周りとつながり合って今を喜んで生きる日常のくらしを大切にしていきます。  

     

「あなたがたは神に愛されている子供です」エフェソの信徒への手紙5:1より

 

                   大漉知子

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