かえでの保育だより

クリスマスを共に喜びあう

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」 マタイによる福音書1章23

「私は必ずあなたと共にいる。」出エジプト記3章12節                      

11月16日(火)に、年長組の子どもたちと共に電車に乗って「こどもの国」へと出かけました。(この1年半、公共の乗り物に乗っての園外保育は感染症予防のために控えざるを得なかったため久しぶりのことでしたが、全てが守られ感謝でした。)

こどもの国では、深まる秋の日差しの中色づいた木々の葉の美しさを感じながら山坂をたくさん歩き、たどり着いた広場でのんびりとお弁当をいただきました。昼食後、私たちは牧場へと出かけました。牛舎に近づくと、ふわーっと独特のにおいが漂ってきました。予想通り多くの子どもたちが、鼻をおさえたり、「くさーい」という言葉を口からもらしたり、眉をひそめ足を止めかけたりしていました。私は、「そうね、動物のにおいがするわね」と言いながら、子どもたちの足を前に進めました。うす暗い牛舎の中に入るとずらりと並んだ乳牛たちがお昼ご飯の干し草を「ごはんですよ」と配られ、おいしそうに食べていました。大きなからだの牛たちの目がとても優しく、気が付くと子どもたちは柵にぴったりと寄って、おもしろそうに牛たちをみつめていました。中にはもうすぐ赤ちゃんを産む母牛もいて、子どもたちと「お腹がふくらんでいるね」「元気な赤ちゃんが生まれますように」などと語り合いました。さっきまで、鼻をおさえていたり、「くさい」と言っていた子どもたちも、いつのまにかすっかり平気な顔をして、牛舎の中に身を置いていました。

私は、「イエスさまは、馬や牛の住む小屋でお生まれになったのよね・・・」と、つぶやきました。「ふーん」「へー?」と言っている子どももいましたし、「馬小屋だよね」と言っている子どももいました。牛舎の出口脇には、子牛たちの遊び場があり、愛らしい姿を見せていました。そして、その向かいの囲いの中には、羊たちが群れをなしていました。羊を見ながら、♪ぼくらは村の羊飼いです。ハイドンハイドン ティリドン ハイドンハイドン ティリドン♪と歌う子どもたちもいました。(子どもたちの好きなクリスマスのうたです  チェコのキャロル 奥山正男訳)

実は、私は「こどもの国」に行くことが決まった時から、『アドベントを迎えるこの時期に、子どもたちとこの光景やこのにおいを共有できるかも知れない』と、嬉しく思っていました。そして園外保育を終えた今、この体験が聖書に描かれているクリスマスの物語とつながっていくことに意味を感じ楽しみにしています。

11月18日(木)にオンラインでの「クリスマスを迎えるにあたって」のメッセージをくださった田中かおる先生(日本キリスト教団安行教会牧師)は、「主イエスは、私たちを救うために、世に降りてきてくださった。そのお姿は、一番低い姿勢(=家畜小屋で生まれる)であった。このことを感謝するのがクリスマス(キリスト+礼拝)=キリスト礼拝」と書かれています。

神の子イエスさまは、立派なお城や私たちが行くことのできない特別な場所ではなく、町はずれの小さなそして動物のにおいのするような家畜小屋(馬小屋)で、人間のお姿となりお生まれくださいました。ベットは馬の餌箱である飼い葉桶であったと聖書に書かれています。・・・そこに神さまの愛があります。

恰好をつけず、着飾らず、痛みや弱さを持ったままに、そして小さな喜びをそっと携えてお会いしに行ける場所でお生まれになったイエスさまを思うと、安心とともに心の奥に光が照らされている気持ちになります。神さまは、子どもも大人も誰もを、そのままに迎え共にいて愛してくださる救い主を、私たちに与えてくださったのです。

この年もアドベントからクリスマスへの時を、子どもたちと保護者の方々とそして先生たちと大切に過ごしたいと思います。「すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」(口語訳聖書 ルカによる福音書2章10節・11節)―を心にとめ、園で出会った者同士、また親子(家族)で、共に喜びあうクリスマスになりますよう、お祈りします。   大漉 知子

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