子どもの心に残るもの
私は台所に立っている時、よく母のことばを思い出します。「包丁は使い終わったらすぐに洗ってしまうのよ。出しっぱなしにしているとケガをするからね」とか「ご飯を炊いたお釜はすぐに水につけるのよ。そうしないとお産の時、苦労するって昔から言われてるのよ」「葉物は沸騰したお湯に入れて茹でる。土の中のものは水から茹でる」などなど暮らしの知恵のようなことから時には迷信のようなことまでたわいもない母の呟きが母の作っていた味噌汁の匂いや野菜を刻む音、糠漬けの味とともによみがえってきます。
母が亡くなったのは私が27歳の時でもっと一緒に過ごしたかったとか母にお料理やお裁縫など教えてもらっておけばよかったと思うことがあります。けれど私の体や心にはちゃんと母のことばが残っていてそこをたどっていけばなんとか「大丈夫」とまた台所に立ちます。
先日、オンラインの昔話の会に参加した時のこと。初老の男性が、「子どもの時、寝る前におばあちゃんの布団にもぐりこんで昔話を聞くのが楽しみだった」と話されました。その方はつい昨日のことのように「ばあさんがね、言うんですよ。目をつぶって聞くんだよって。あれは早く寝かしつけたかったからそう言ったんだろうなあ。でも目をつぶるとばあさんのお話の物語がぱ〜っと広がるんだなあ。楽しかったり、ドキドキしたりしたなあ」と話されました。私が「お子さんやお孫さんにもお話をされるのですか」と聞くと「子どもにも話したよ。今は孫にするのが楽しみでね。やっぱり私も目をつぶって聞くんだよって言うんだ。その時、ばあさんの布団の匂いを思い出すね〜」とおっしゃいました。
何気ない日常の温かい記憶がその人の生活を豊かにしたり、支えたり、心に寄り添ってくれたりします。私たちは子どもの心に何を残せるのでしょう。
年少組のアドベントカレンダー作りの時に片岡先生が「♪アドベントクランツに〜♪」とアドベントの間、子どもたちと一緒に歌うさんびかを歌いました。一人のお母様が声を合わせて歌われてその後「先生、私この歌を子どもの頃に歌ったのを覚えていました。」とおっしゃいました。きっと幸せな記憶として心の底に残っていたのでしょう。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネによる福音書1章1節)
(永瀬真澄)