オジギソウと、歩くことと・・・
9月の保育の中、子どもの日常が守られたことを深く感謝しています。
三輪車置き場の前に置かれている植木鉢に、オジギソウのピンクの花が咲いていたことにお気付きの方がいらしたと思います。あのオジギソウは、ある卒業生のお父様からいただいた苗から育ったものです。(そのお父さまは種からの花作りをされるのがお得意で、毎年毎年初夏になると、苗を幼稚園の門の前にそっと置いておいてくださいます。嬉しいことです)
触るとおじぎをするように葉を閉じるオジギソウの不思議さや面白さは、子どもから子どもへとすぐに伝わるもので、6、7月の保育中には、子どもたちに次々に触られ続け、「オジギソウがちょっと気の毒」と思うほどでした。
夏休み・・オジギソウにとってはほどよくそっとされている時間があり、その間に葉を茂らせ、そして9月に小さなポンポンのような花を咲かせました。私の感覚ですが、この秋がこれまでで一番たくさんの花を咲かせたように思えました。オジギソウの花に気付くのは私だけではなく、子どもたちも「あれ、花が咲いているよ。いっぱいいっぱい」と目をとめていましたし、何人ものお母さまたちが「えっ?これオジギソウの花?初めて気づいた」「見て、すごく可愛い」等と立ち止まっていました。ほんの小さな草花なのに、目にとめられ、小さい人も大人もこんなに楽しませ、会話を生まれさせて、でもうっかり茎に手をやると痛いトゲもあって・・・と、その存在のらしさを、とても感じさせられます。(神さまの創造のおもしろさを思います)
オジギソウに限らず、子どもと過ごしていると、そして歩いていると、子どもの視線に見えるものや五感で感じるものに、心を一緒に動かされることがたくさんあります。大人が慣れや忙しさで通り過ぎてしまうことにも、まっすぐに新鮮な喜びや驚きや興味をもてるのが、子どもならではの感覚です。
しかも何度でもくりかえし、そして(良い意味で)しつこいほどにです。この感性は、子どもが「自分の周りには面白いもの、美しいもの、不思議なことが満ちている」と思う入口になり、それが生涯を豊かにしていくことにつながっていくと信じられます。
「あらためて、子どもとともに道や自然の中を歩くことの楽しさや大切さを保護者の方と共有し、お勧めしたい」と思っていた折に、皆さまに毎月配布している読み物『ともに育つ』(キリスト教保育連盟発行)の2021年10月号に歩くことにまつわる2つの記事をみつけました。(「歩くこと」黒田恵美子氏・「次の休日には家族で散歩をしませんか?」齋藤めぐみ氏)どちらにも子どもの時を思う私の気持ちとの重なりを感じました。お読みになってみてください。
体幹や姿勢や持久力や免疫力や運動コントロール力などの健やかな体作りへのことばと共に、人生を心豊かに楽しんで過ごすことにつながるということばを、問いかけとして受け止めていきましょう。
幼稚園時代の送り迎えの道中に、親子の時間ということに加えての贈り物があるということですね。風と光が気持ちの良い季節、いつもは自転車をお使いの方も、時には片道だけでも歩いてみる日をつくってみてはいかがでしょうか。道端の小さな花の色や、虫の声に立ち止まりながら・・・。
「今日は生えていて、明日は炉に投げこまれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(マタイによる福音書 6章30節)
大漉 知子