子どもにとっては、足し算の毎日
日本中世界中の子どもたちの親や保育(教育)者は、未だ終わりの見えない新型コロナウィルスとの共存を受け止めつつも、ため息や嘆きをもらしています。それは感染への不安や恐れからでもありますし、不自由さや閉塞感からでもありましょう。そして子どもがこのような数年を過ごすことを残念と思い、またこのことが心身の成長や学びにどう影響するだろうかを心配しています。
私にとっても、様々に思いをめぐらした1年半でした。だからこそ保育の中では、目の前の子どもたちが、もの・人・こと・自然・ことば・絵本(ファンタジーの世界)等にたっぷりと出会い、心身を動かして過ごせるように、先生たちと創造力を働かせ、祈りを合わせて過ごしてきました。その姿勢は、これからも変わらずに持ち続けます。
しかしながら今、強い感染力のデルタ株には、病床数や若年層の感染者数からも、これまで以上の注意を払う必要があります。このことは、皆さまもきっと感じていらっしゃることと思います。(子どもやご家庭への配慮はもちろんですが、心休ませる間もなく働いておられる医療関係者や介護関係者の方を覚えることも忘れないでいたいと思います)
災害時とも考えるべきこの緊急事態に、集団の場としてはまず命(健康)を大切にする選択をしていきます。そしてできる限りの感染予防をした上で、私たちは子どもたちの幼稚園での時間が、子どもとしての豊かな時間となるよう心を尽くします。
ご承知の通り、保育は近づかない・ふれあわない・声をださない・・・ということでは成り立ちません。子どもは、保育者や子ども同士との相互の関わりを通して、心身ともに育っていくものです。そう思うと完全な予防はできないことに不安は残りますが、手洗い・マスク・換気等の基本的な予防を続けながら、ゆっくりと2学期を始めていきます。週ごとに(または数日ごとに)見直しながらの歩みになると思いますが、これまで同様にご理解とご協力をどうぞお願いいたします。
最後に、子どもがいつの時も私に教えてくれている『希望』を書かせていただきます。私たち大人はこれまでの経験や期待から今を引き算でとらえて「あれができない」「前はよかった」と、ついつい憂いてしまいます。しかし、子どもは「今」にスポットライトをあてて生きています。(周りの大人が今を大切にし前に向かっていればなおさらにです・・)そう!子どもは今日の生活と遊びの中での体験や関わりや、(お母さんや先生と)歌った歌や、読んでもらった絵本に「楽しかった」「難しかった」「ドキドキわくわくした」「おもしろかった」「明日もきっと良い日になる」と感じ、それらを毎日足し算して心のポケットに蓄えているものです。それは幼稚園でも、家庭でもです。そこが子どもの素敵なところ!私はそう思ってきました。(例えば、一匹のセミ・ひとつのどろだんご・一枚の絵を描くことに夢中になったり、疲れを知らずに走り続けたり、空想の世界でごっこを楽しんだり、喜んでお手伝いできる子どもの時って幸せなことです)
ご一緒にそのことに希望をもち、「だいじょうぶ、子どもは今を生きている。落ち着いて暮らそう」と思っていきましょう。この子は何を見つめ、何に心をとめ、何を楽しんでいて、何に不安をもっているかを、感じて、必要なところで支え、ちょうど良く距離を置いて待ってやりながら、今のこの体験がきっと未来につながると信じていきましょう。子どもにとっては信頼できる人がいれば、不自由な体験も大事な体験となります。
冒頭に書いたこと以外にもコロナ禍の子育てには苦悩もありましょう。秋の始まりのこの時、私は、すべてが益となるようにしてくださる神さまに祈り委ねながら、保護者の方々とこの時を共有し、思いを分かち合い、時に励まし合って2学期を過ごしたいと願っています。よろしくお願いいたします。
「主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。」
聖書:詩編 103篇8節
大漉 知子