日かげ
子どもにはいっぱいの日なたと共に、静かな日かげも与えてやりたい。
夏の日が強くなると、木の葉が繁って涼しいかげをつくってくれる。自然はなんというこまやかな心づかいと、やさしいいたわりに行き届いていることであろう。励ましと共にいたわりを忘れない。引き立てると共に憩わせることを忘れない。
日盛りの中を駆けまわって、その広い明るい光線に、ぐんぐんと活気をあおり立てられている子どもが、ふと、涼しい木かげに来て、にっこりと、なごやかな顔を見せることがある。
日なたがなければ子どもは生きない。しかしまた、日なたばかりでも子どもは生きられない。日なたに生き、日かげにかばわれて生きる子どもではある。
わたしたちも、子どものために、いっぱいの日なたとなると共に、よき日かげになってもやりたいものだ。
倉橋 惣三
『育ての心』(フレーベル館)より
教育(保育)学者であり児童心理学者である倉橋惣三先生(1882~1955)の残されたことばに、私はいつもはっとさせられ、やがて深い落ち着きをいただきます。左記の「日なた」は1936年(昭和11年)に発行された『育ての心』の中にある一文です。その『育ての心』の序文冒頭に、
「自ら育つものを育たせようとする心。それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於いて相楽しんでいる心である。
―中略―
それにしても、育ての心は相手を育てるばかりではない。それによって自分も育てられてゆくのである。・・・・」
とあります。「育ての心・・・世にこんな楽しい心があろうか」・・私もそう思います。
悩んでも、立ち止まっても、遠回りしても、ややこしいことがおこっても、やれやれと思っても・・・育つものと共にいられることは、やっぱり楽しいことです。
コロナ禍の中の夏休み・・・子どもは、イベントや遠出以上に、いつもの日常が守られていることが嬉しいものです。そこに笑いがあれば幸せです。そして、午前中や夕方に外に出て、本物の夏の日なたと日かげでの時間(自然の中に身を置く時間)があれば、心身が満たされます。健康で平和な日々が続きますよう、お祈りします。
大漉知子