かえでの保育だより

  躍動と思索と ―動く時・考える時―

 梅雨の晴れ間、空の青さと夏の日ざしの中で、水あそびにきゃっきゃっと心と身体を弾ませている子どもたちの姿が見られるようになってきました。保育者がホースの先をつまんで空に向かってシュワーと飛ばした水のトンネルを「わーっ」と言いながら通り抜けることも嬉しそうですし、昨年から取り入れた噴水(のように四方八方に水が上がる遊具)のまわりでびしょびしょになって水を浴びることも楽しそうです。また、まだ水を浴びることには抵抗があるのか、直接水にはあたらず一歩下がったところから、きらきらと光る水しぶきや地面にできる水たまりを目で追うことに心魅かれている子どももいます。その水たまりに入ってぺたぺたぺたっとどろんこを手足で触れて味合うこともこれまたおもしろそう・・・。そこここで遊びと学年を超えての子どもたちの輪が生まれていきます。子どもたちの心が開放され、おもしろさと人に出会う体験の時がどんどんとつながっていく・・・いつまでも見ていたいと思わされる景色です。

 一方、同時進行で室内でも「いつまでも見ていたい」と思わされる一人ひとりの心の動きの様や遊びの展開があります。

 木工室に立ち寄った時のこと、年長組の〇ちゃんが素材となる木片の入った箱の中をじっと見ています。金づちで釘を打つガンガントントンという音や、のこぎりで板を挽くギコギコという音がにぎやかに響く中、〇ちゃんは静かに立ち止まっています。私が近づき「〇ちゃんはここにいたのね。これからどうしたいのかな」と聞きますと、ぽつりと「わたし、さっさとまよっちゃうの。いつもそうなの」と応えました。『さっさと迷う』・・意外なことばでした。そして、『私は私の問い方が〇ちゃんをせかせてこう言わせてしまったかな』と振り返っていました。すると〇ちゃんは、「あのね・・・私ドールハウスのテーブルを作ったの。それでね、テーブルの他には何があるといいかなぁって考えていたの。材料を見ながら考えていたの」と言いました。私は「そう、よく考えることは良いことよ。だいじょうぶ、ゆっくり決めてごらんね」と告げました。「うん」・・・と、首をたてにふった〇ちゃんは、それからまた箱の中をのぞき、入っている木片をあれこれひっくりかえし、ずいぶん経ってから「これにしよう」と、小さな木片を選びました。「椅子を作ることにした」とのこと。それからの〇ちゃんは、木片に鉛筆で線を引き、のこぎりで切り、やすりをかけ・・・・丁寧に手間ひまをかけ、落ち着いて、満足そうに椅子作りに取り組んでいました。思慮深さや慎重さは〇ちゃんの持ち味であり、良さです。しかし、もしかしたら周りからは、「さっさとして」「さっさとしなくちゃ」等と言われることがあるのかも・・・です。ですから、私の問いかけに「さっさとまよっちゃうの」と、精いっぱいの表現をしたのでしょう。 

(小さい頃から今に至るまで、てきぱきすることが苦手で、まわりをやきもきさせてばかりの私には、その気持ちがよくわかりました)
 

 水遊びのように目に見えての躍動の姿にも、〇ちゃんのように心の深いところと頭の中で思いめぐらしている姿にも、子どもの喜びが感じられます。一人ひとりの個性が違うので、まず動くことが先の子どもと、よく見て考えることが先の子どもとがいるでしょう。(また動くが先か考えるが先かは、物事の種類によって違うということもあるでしょう。) 私は、順番はどちらであっても、「自分で動き出すこと」・「自分で考えること」のどちらもが子どもの成長の道筋にありますように・・・と思っています。子どもが地に足をつけ、心動かして暮らし・遊び・安らぐ環境(時間・空間・人間関係・・)を、園でも家庭でも守りつくっていきましょう。

 3歳・4歳・5歳・6歳の夏、一人ひとりの子どもたちが、神さまに守られて、健やかに、穏やかに、そしておもしろく生きられますようにと祈ります。

「主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。

ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。」

              (聖書 詩編12節3節より)

               大漉 知子

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