どろだんごをめぐる子どもの物語
青空と新緑が美しい季節となりました。風薫る五月・・・という表現が実感できる今です。
その開放されるような思いの中にも、新型コロナウィルス感染への不安は弱まること無く続い
ています。「どうか予防を緩めることなく、ご自身とご自身の周りの大切な方をお守りください」
と、あらためて申し上げさせていただきます。
子どもたちの日々は、活気と落ち着き、混沌と秩序、笑いと涙が入り混じっていて、いつもの
幼稚園です。その中に、一人ひとりの物語があります。私たち保育者は、その物語の目には見え
ない心の奥やそれまでの背景を思いめぐらして、まなざしを送ったり、ことばをかけたり、手を
添えて助けたりしますが、子どもを育み支えているものは、それだけではありません。
4月末のある日の、小さな物語をおすそわけします。庭のブランコのそばで、年中組のAちゃん
が「わーん!」と声を響かせて泣いていました。その周りには数人の子どもたちがいます。Aちゃん
の泣き声にびっくりしている子ども。心配そうに見ている子ども。何事もなかったように、平然と
ブランコをこぎ続けている子ども・・それぞれです。私は駆け寄って行き「どうしたのかし
ら・・」とことばをかけました。Aちゃんは手の平につるつるすべすべの美しいどろだんごをのせ
ながら「おだんごにひびが入ったー。大事だったのにー。タイヤの中に隠しておいたのを、ちっち
ゃい子が触ったー!この子がやったー」と年少組のBちゃんを指さし、「あーん!」とまた大きく
泣き始めました。指をさされたBちゃんは、固まって立ちすくんでいました。そしてBちゃんはたど
たどしいことばでぼそぼそっと、「タイヤの中にあって、何かなー?って思って触っちゃったの。
壊したんじゃないの」というような内容のことを、精いっぱいに言いました。そばにいた年長組の
CちゃんとDちゃんは、「そういうことあるよねー」「あるある、私も壊れて悲しかったよ。タイヤ
に隠したらあぶないよ。でもさ、ひびだからなおせるんじゃない」と言います。「なおらないー。
もうなおらないー。ぜったいなおらないー」とAちゃんはなお泣きます。Bちゃんは、立ちすくんだ
ままです。私は、「Aちゃん、悲しかったわね。そしてBちゃんはびっくりしたわね。Bちゃんが壊
そうと思ってさわったのではないってわかっているわよ。・・・でも、Aちゃんがこんなに悲しい
気持ちでいるから、私と一緒にごめんなさいって言おう」と告げました。でも・・・
「ごめんなさい」は、そんなに簡単に言えることではないのです。(その気持ちもよくわかりま
す)Bちゃんは口をきゅっと結んでいます。一瞬、なんとも言えない空気が流れました。私はとう
とう「Bちゃんの代わりに、私が言うわね・・・ごめんなさい」とAちゃんに伝えました。(代弁は
保育者がしばしばすることではありますが、それが最善のやり方なのかはいつも問い直すところで
す)Aちゃんの泣き声は、少し小さくなっていきました。・・・・それでも、「もういいよ」と許
すことは、なかなかできない気持ちなのも私にはわかりました。
さて、Aちゃんが手の中のどろだんごをしみじみと見つめ、Bちゃんがとぼとぼとそこから立ち去
ろうとしていた時です。「これあげるから」と、どこからともなくやってきた年長組のEちゃんが、
けっして美しいとは言えませんがとても味のあるごつごつして特大のじゃがいものようなどろだん
ごを差し出してきました。私は(勝手な想像で)「Aちゃんにあげるのね?」と聞きました。する
とEちゃんは、「ううん、違うよ。先生にあげる。これずっと前に作って秘密の場所に隠してあっ
たんだ!」とほほえみます。「私に?・・嬉しい、ありがとう。大切にするわね」・・・その瞬
間、そこにいた皆がその特大の味のあるどろだんごにニヤーっとし、その場の空気がふっとなごみ
ました。Aちゃんも笑っていました。Bちゃんの足どりは軽くなりました。こういう飛び入りが絶妙
なタイミングで舞い込むから、子どもの物語はおもしろくなるのです。(おそらく、Eちゃんは近く
でこのやりとりを見ていて、何かを思ってどろだんごを持ってきたのでしょう。その気持ちが楽し
く愛おしく思えました)
話はもう少し続きます。Eちゃんからだんごをもらった直後に私はオリーブの部屋に呼ばれて、そ
こを離れました。10分ほどしてから戻ると、Aちゃん・Cちゃん・Dちゃんが、輪になってしゃが
み、3人でAちゃんのだんごのひびをていねいに埋めていました。(Cちゃん・Dちゃんから「なお
してみよう」って誘いかけたのでしょうかね?)3人の手つきはまるで職人のようでした。やが
て、実は私も『たぶんなおらない』と思っていたひび(割れ目)が、3人の小さな手のわざで修復
されて、どろだんごはもとのつるつるすべすべのまんまるにもどりました。
子どもたちの頭の上を、さわやかな風がひゅーと吹き、桜の若葉がゆすられていました。
子どもの世界によくある風景ではあります。子どもたちは、この日の物語は忘れていくでしょ
う。でもこの日の体験の一つひとつが、それぞれの心の奥になんらかの力になって置かれるでしょ
う。
子どもは、遊びの中で、育っています。成長させてくださる神さまに見守られ、様々な人や物や
できごとと関わりながら・・・。
聖書「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去り
ますが、見えないものは永遠に存続するからです。」コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節
大漉知子