心の根っこ
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけて
いてくださるからです。」(ペトロの手紙Ⅰ、5章7節)
ちょうど1年前の保育だより3月号の巻頭言の終わりに載せたのが、上記の聖書の一節です。その文章を書いている時には、まさか3月の保育が無くなるとは思っていませんでした。保育だよりの印刷と製本を終えた2月27日の夜、政府からの一斉休校要請が出され、翌日の緊急保護者会をもって休園となり、結局5 月いっぱいまで通常の保育はお休みとなりました。
それから一年、新型コロナウイルス感染をめぐって、保育の場もご家庭もずいぶんたくさんのことに心を揺さぶられてきました。葛藤しながらも、歩みを共にしてくださった保護者の皆さまには、あらためて感謝の思いでいっぱいです。例年とは違う一年でしたが、例年には無い楽しさや体験、そして気付きが生まれたことも嬉しいことでした。
今子どもたちは、予防の中ではありますが日常をとり戻し、3学期の日々を、落ち着いてまた嬉々として過ごしています。遊びへの創造的な取り組みと、同年齢・異年齢との深い交わりが、園のあちらこちらで見られています。
春を前にして、特にもうすぐここから巣立っていく子どもたちと保護者の方々一人ひとりの幼稚園での年月を振り返り、心の中に蓄えたものを思いめぐらしている私です。その折の2月の末に、続けて卒業生のお母様3人が十数年ぶりに園を訪ねていらっしゃいました。(お一人は園庭開放に来た孫の送り迎えのために、お二人は菅生緑地へのお散歩の途中でなつかしくなって・・・でした)かつての「かえでの子ども」は、もう三十代・二十代の大人となり、それぞれの歩みをしているとのこと、近況をお話くださいました。
3人のお母様方が、ほとんど同じことを言われました。まとめますと、「子どもが大人になっていく成長の過程には、苦労も遠回りもやり直しもありました。ひととき立ち止まることもありました。それでも、自分で感じて、自分で考えて、自分で納得して、また歩み出していました。これって、かえで幼稚園で毎日してきたことですね」「幼稚園の頃は、母として初めてのことばかりで不安だらけでしたし、子どもが自分の一部過ぎて、客観的になんて見ることができずにいました。でも、先生方や他のお母さまから、子どものことを自分とは違う人格として受け止め、信じて待つということを教えられて・・・それが今日まで、ずっと私の立ち戻るところでした」「かえで幼稚園が、子どもにとっても、私にとっても原点です。根っこがつくられた場です。」「大切にされた場所が出発点であり戻る場所です」・・・・・どれも私にとって希望のことばでした。
3月を前に皆さまより一足先に私のもとに届けられた『父母の会総会のしおり』の表紙に書かれていることばにも―いつの時も 心の根っこは かえでの庭に―とありました。
家庭と結ばれながら、神さまと人に愛され守られた園生活の中、自分で考え動き出した時が、そして他者と共に歩んだ時間が、子どもの(そして子どもをめぐる大人の)心の根っこを育み支えてきたことでしょう。その根っこが、これからの人生の晴れの日にも雨の日にも、自分らしく周りの人とつながって生きる土台となると信じ、祈り続けます。
イエスさまがいつでもどこでも共に居てくださいます。
大漉 知子