友だち
ある日の庭での出来事です。年長組のAちゃんとBちゃんが怒っています。二人は『相手が無視したから私は嫌なことを言った』と言い合っているのです。「そっちが先でしょ」「いいえ、そっちが先に無視をしたんです」と譲りません。その場に居合わせた私は二人と一緒にベンチに座り二人の話を聞いていました。
「いつも私のことを無視するでしょ。とっても嫌だった」「私だって嫌だった」
「私はとっても悲しい気持ちになった」「悲しいのは私の方だよ」
Aちゃんが言えば、Bちゃんも言い返し、二人とも「私が一番かわいそうなの」と言い合います。
私が「二人とも同じように思っていたってことなのかしら。私にはどっちが先に言ったかもどっちの方がなお嫌な気持ちなのかもわからないけれど、この後二人はどうしたいのかしら?」と聞くと二人は考え込み、しばらくして Aちゃんが「また遊びたいからごめんねって言う」と言いました。けれどBちゃんは顔をそらしています。
私が「すぐにごめんねって言える気持ちにならないこともあるわね。私もそういうことあったわ」と言うと、二人は「そうなの?」「それで先生はどうしたの?」と聞いてきました。私が、謝りたかったけれどどうしても「ごめんね」と言えなかったこと、そうしているうちにその友だちが遠くに引っ越してしまったことを話すと、二人は気の毒そうな顔をして「それじゃあ、謝れないじゃない!」と声をそろえて言いました。私が「だけどね、お手紙を書いたの。ごめんなさいって言いたかったって」と言うと二人はホッとした顔をして「手紙かあ、それはいいね」「よかったね」と私の肩をポンポンとたたきます。
しばらくの沈黙の後、Bちゃんが「やっぱり私謝りたくなったなあ。Aちゃん、ごめんね」と言いました。二人はニヤッと顔を見合わせました。Aちゃんは「でもさあ、先生こういうことってこれからもまだ続くのかなあ?」と聞いてきました。私が「そうよ、まだまだ続くのよ〜。大人になっても続くかな〜」と答えると二人は「どっひゃあ〜!!!」と言って走って行きました。
『きみなんかだいきらいさ』(Janice May Udry文 富山房)という絵本があります。主人公のぼくと大の仲良しのジェームズがある日、けんかをして「ぜっこうだ!」というのですがまた仲良しに戻り、遊び始めるという内容のお話です。
人はけんかをし、言い合いをしながらも本当の友だちになっていくのでしょう。子どものその時を傍で見守り、大切な心の体験となりますよう支えていきたいと思います。
(永瀬真澄)
「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」
(エフェソの信徒への手紙4:32より)