インマヌエルークリスマスの喜びでこころが満たされるー
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださる。」(ローマの信徒への手紙15章13節)
「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1章23節)
11月になると、街は教会や幼稚園よりずっと早くクリスマスの装いを始めます。11月半ばのある夜、私はたまプラーザ駅周辺のたくさんの電飾の光を目にし、その美しさやきらびやかさの中、様々なことを思いめぐらしていました。新型コロナウイルス感染の不安が再び広がっている今だからでもありましょう・・・
クリスマスを待ちながら、あれこれと準備する楽しさを味わうのも、親しい者同士が喜び合うのもこの季節です。しかし本来の「クリスマス」の意味はクリスト(キリスト)マス(礼拝)、「キリスト礼拝」です。私は、心配ごともある日々だからこそなお、「礼拝を通して、神さまに招かれかえで幼稚園につながる子どもと大人とで、聖書に描かれている本当のクリスマスを知ることができますように。一人ひとりが、『わたしの心のまことの光』としてお生まれくださったイエスさまに出会え、愛されていることによる喜びと平和で満たされますように」と願っています。
イエスさまは、人間のお姿で、しかも馬や牛のえさ箱である飼い葉桶に眠る小さな赤ちゃんのお姿で私たちのところにいらしてくださった救い主です。神の御子でありながら、最も低いところへと降りていらしてくださいました。
夜も寝ないで野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは、そのことを天使によって知らされ、馬小屋に急いで行きイエスさまにお会いできました。異国の博士たちは、星に導かれて長い旅の果てにイエスさまにお会いし礼拝を捧げました。羊飼いも博士も、イエスさまにお会いし、どんなに嬉しかったことでしょう。深い喜びに満たされ、これまでとは全く違う生き方を与えられました。そしてまたいつもの自分の場へと日常へと帰って行きました。確かな存在に愛されその方によって生き方の道しるべを与えられたことで、深い安心と希望の中にいざなわれていったのです。
私たちもそうでありたいと思います。喜びや恵みもたくさんありますが、心配や不安に揺れ動くもろい私たちです。共に礼拝をし、みことばを聴き、静まって祈り、「神さまの光の内に居る」こと、「イエスさまが共にいてくださる --インマヌエル-- 」ことを受けとっていきましょう。そして子どもたちと一緒に、安心していつもの日常へと戻っていきましょう。
この年もアドベントからクリスマスへの時を、子どもたちと保護者の方々と大切に過ごしたいと思います。クリスマスの喜びを共有していきましょう。
「すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」(口語訳聖書 ルカによる福音書2章10節・11節) 大漉 知子