生きる素地を支える体験の日々
この春の休園期間中、私は聖書・本・新聞・友人との(電話での)おしゃべり等から、心に響くことばを多く与えられました。そのひとつが元園長の土橋克子先生の電話でのことばでした。先生は、話の流れの中で「かえでの子どもは大丈夫よ。かえでは生きる素地を支えるスキルを得る場だから」と言われたのでした。そして、なつかしそうに次から次へと子どもたちの遊びの姿を語られました。
土橋T「目に見えるスキルもあるわねえ。例えば釘を打つ子どもたちは、何本も何本も打ち、曲がったら釘を立てておこしたり、まっすぐにならないと思うと釘抜きでぬいて初めからやり直し、また何本も何本も打ち、やがて得たこつを使って何かを作り、満足し、それからまた作り、作ったもので遊んでまた満足していくでしょ」
私「そうですねえ」
土橋T「はさみを持つようになると、まずジョキジョキジョキジョキ切って切って楽しむでしょ。楽しむうちに、はさみが自由に使えるようになって、作ることがもっと楽しくなるでしょ」
私「そうそう、ひたすら切るのが楽しい時期ってありますね」
土橋T「砂場で穴を掘って、夢中になって掘って、これでよしと思ったら、そこにバケツで水をよいしょと運んで流し、運んで流してためるでしょ?水がしみこんでいく様子や、流れる様子を不思議と思ってじっとみつめることにも時間をかけてね。水がたっぷりたまるとバシャンと飛び込んで、笑って・・そのうちに一緒に笑うなかまや力を合わせるなかまが生まれていくでしょ」
私「ダーって走って行って、ドボ--ンって飛び込むジャンプ場をつくって、どんどん友だちが集まってきて、みんなびっしょりになってねー」
土橋T「あー、あれは愉快だったわねえ・・・・遊びながら、子どもの中に様々な思いと考えと手のわざとがつながっていくし、周りの人ともつながっていくのよね・・・・この手やからだを使い動かすことと、人と一緒に生きることは、人生の素地になるの。それからね、時間を自分で使って、やりたいことを決めて、終わりも決めていく遊びの時が、一日をプログラムする素地になるでしょ。かえでで遊びながら生活しながら得たものは、一生生かされるものよ。神さまは、子どもたちにそういう時をくださっているのね」・・・・
私は秋風の中に遊ぶ子どもたちを見ていて、土橋先生のことばを思い出し、「本当にそうだ」と感じています。そして思い通りにいったりいかなかったりのプロセスと、愉快な一瞬一瞬を、なお支えたいと思わされています。
ところで、9月に実習生として過ごした卒業生のT君は、「僕はこの実習で、僕が子どもの時にかえで幼稚園で与えられたものを、子どもたちと共有したいと思いながら過ごしました。いくつもの場面で共有でき一緒に喜ぶことができました。からだが覚えていました」とのことばを残していきました。からだが覚えていることは心を動かしたことでもあり、それが自分らしさをもって、人とともに生きる素地になっていくとしたら、嬉しいことです。
「主は必ず良いものをお与えになり 私たちの地は実りをもたらします」 詩編85篇13節
大漉 知子
