これから
7月終わりの年長組の夕涼み会のことです。子どもたちは、夏祭り気分でお店めぐりを楽しんだ後に、音楽にのって1学期に好きになった♪サンバを踊りました。そろそろ夕暮れ時・・・辺りは暗くなってきました。踊り終えて椅子に座り大きな輪をつくった子どもたちの前に、タワーの上からたいまつを持った火の鳥が舞いながら降りてきました。たいまつの火は、井桁に組まれた薪の中にくべられました。火は少しずつ少しずつ大きくなり、パチパチという音とともに火の粉をあげます。子どもたちも先生たちもひととき静まり、じっと炎をみつめました。澄んだオレンジ色の美しい光でした。・・・それから、ファイヤーの周りで、歌い、踊り、グループでの出し物(相談して紹介しあうお楽しみ)をし、そして賛美し、祈りました。 私は、「このファイヤーの周りでの時間が、子どもたちの中に楽しさとともに幸せの原風景となってずっと残りますように」と願っていました。「ファイヤーの周りで、歌い踊りたい」というのは、年長組の担任の思いでもありました。当初は、「新型コロナウイルス感染予防のためにキャンプが無くなり、キャンプファイヤーができないのでその替わりに」という意味あいもありました。しかし、キャンプとは場所も流れも違いますから同じではありません。先生たち皆で、「感染予防をしながらも豊かな時にできるよう、幼稚園の庭だからこそできる流れと内容を創り出そう」と話しあいました。悩みながらも楽しんで準備しました。そうした結果、「園庭でのファイヤー(焚火)を囲んでの夜は、けっしてキャンプファイヤーの縮小版では無く、そこにいる子どもたちにとっての5歳児の夏に与えられた特別な時間となった」と、私は感じ感謝しています。
これからの2学期の保育を思いますと、まだまだ感染予防が続くことには、不安や迷いがあります。「大らかに、しかし慎重に」がかえで幼稚園の姿勢です。密を回避することだけを考えても、例年通りにはできないことが多くあります。(それは保護者会や父母の会に関わることでも同じです。 集って、しゃべって、笑って、ふれあっての時間の温かさや面白さが、懐かしくも思えます。・・・・前を向き、少しずつ動き出しましょう。)
子どもの心の育ちは、日々の営みの中にあります。まず園は、日常における子どもたちの安心・主体的な生活や遊び・喜びや葛藤の体験を大切にします。また、同年齢異年齢の関わりや交わりを通して育ち合う時間を一人ひとりに保証したいと思います。
さて、「集う」ということには密との関わりで工夫が必要です。1学期もそして今も、私たちは一つひとつに「うーん、どうしたものか」と考え込みます。その中、私は冒頭に書いた年長組の夕涼み会で与えられた思いを根拠として希望をもちます。(年少組のたのしみ会にも、年中組の夕涼み会にも同じような思いを与えられました。)以前のようにはできないからこそ柔軟で創造的な保育(保護者会や父母の会も)が生まれることや、今目の前にいる子どもや保護者の方との今年ならではの特別な時間がつくれることの可能性を思います。それには、神さまの守りと、先生たちのチームの力と、保護者の方々の共感が必要です。
1学期に引き続きこれからの2学期も、かえで幼稚園の土台となる教育観や文化を大切に守りながら、これまでとは変えること、また新しい試みをさせていただくことが、多々あると思います。保護者の皆さまには、その理由や意味を説明し、ご理解いただけるよう努めます。2学期、季節は夏から秋へ、秋から冬へと移り変わっていきます。そして学期の終わりにはクリスマスを迎え、私たちはファイヤー(焚火)の炎ではなく、ろうそくの灯りをみつめます。いつの時も暗闇の中の光は、子どもにも大人にも安心と励ましをもたらします。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(聖書:ヨハネによる福音書1章9節)・・・クリスマスにお生まれになったイエスさまは、私たちを照らす光として共にいてくださいます。聖書:詩編119篇105節には「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」と綴られています。
見通しの持ちづらい今の時ではありますが、神さま・イエスさまが、私たちの足もとの一歩一歩を照らしてくださっていることに信頼をおき、引き続き落ち着いて朗らかに保育の日々を過ごします。祈りながら、賛美しながら、ほほえみながら、つながりながら歩みましょう。
今学期も、どうぞよろしくお願いいたします。
大漉 知子