かえでの保育だより

新型コロナウイルスを覚えながらの保育に思うこと

 遊びに夢中になる子どもの姿や、友だちと笑い合う子どもの姿が園に戻ってきました。また、子どもと保育者が共に祈りさんびかを歌い礼拝する時間が戻ってきました。あたりまえの幼稚園の日々がとても尊く嬉しく感じられます。

保育が再開されてのこの1カ月、私は毎日葛藤しています。感染を心配してどこまで予防をすれば良いのだろうか? 子どもたちの幸せな幼児期とそこから繋がる未来を考え、今何ができるか? 保護者と担任・保護者同士の対話の時間をどのように取り入れていけるか?・・・何を選ぶにも、そこには大きな希望とともに不安が残ります。テレビや新聞から教育現場に向けては、「深刻になり過ぎずに、おおらかに」ということばも、「気を緩めずに、慎重に」ということばも届き、どちらにもうなずかされます。保護者の方々の心の中にも、双方の気持ちがあることでしょう。

園では、引き続き自分と大切な人を守るための「手洗いなどの感染予防」「密の回避」「除菌」に心を配ります。保護者の皆さま、どうぞご協力ください。

しかしながらです。このような中でも、子どもたちははっとさせられるほどに、今を受け入れ、今に生きています。大人ほどにこれまでの日常に縛られていないからとも思えますし、順応性やたくましさが備わっているとも思えます。また「これが家庭と園で愛されて育っている子どもの安定感だ」とも思わされます。励まされます。

私が見出している願いの方向は、「コロナ禍だから仕方ない」ということではなく、「コロナウイルス感染予防によって与えられたその枠の中で、子どもたちと落ち着いて穏やかに生き、心満たされる時間を創り出したい。喜び合いたい。」ということです。今つくづくと、子どもが地に足をつけて遊び暮らすいつもの生活が続くことの意味を感じています。

聖書に「今日を喜び祝い、喜び踊ろう」(詩編11824)とあります。神さまがそう望まれ、支えてくださっています。感謝して祈り、子どもとともに心弾ませ笑顔で夏を過ごしたいと思います。

大漉知子

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