卒業や進級の季節に思う
幼稚園の庭に黄水仙やクリスマスローズが咲き始めました。毎年、この季節になると思い浮かぶ詩があります。
一つのとき 何もかも はじめてだった
二つのとき ぼくは まるっきり新米だった
三つのとき ぼくは はじめて ぼくになった
四つのとき ぼくは 大きくなりたかった
五つのとき 何から何まで おもしろかった
今が六つで ぼくは ありったけ おりこうです
A・Aミルン「六つになったとき」より
子どもたち一人ひとりのことを思いめぐらします・・・・一人ひとりの時は違っても、だれもがこのような順で自分らしく周りのものや人と関わりあいながら歩みを重ねているとつくづく感じます。はじめての時があり、慎重にあるいは怖いもの知らずに動き出し、「自分で!」と自分の思いで成そうとし、友だちや遊びや未来に憧れを抱き、何もかもが楽しく夢中になり、満ち足りて「明日も楽しみ」と希望をつないでいく・・・・私は、「ミルンは、子どもが喜んで好奇心あふれてそして地に足をしっかりと張って生きようとしている姿を『ありったけおりこう』と表現しているのではないかしら」と読み取ってきました。
卒業や進級を迎えた子どもたちは、今の『ありったけ』を遊びの中や生活の中で穏やかにまたはいきいきと見せています。私は、その子どもたちの数ケ月前や1、2年目の日々を思い出し、「あの時の楽しさや喜び、あの時の葛藤や悲しみがあったから今がある」と嬉しく見ています。そして、一人ひとりの物語はこれからまだまだ続きます。
卒業を意味するコメンスメント(始まり)ということばが好きです。3月は終わりの時ではなく新たなる始まりに向かう時です。子どもにも、お母さまたちにも、そして私にも、もうすぐ目の前に「なにもかも はじめて」と思う出来事や出会いからの『始まり』が用意されています。少し不安にもなりますが、「また順番に歩んで行けばだいじょうぶ」です。
何よりも、私たちのこれまでとこれからを知っていてお守りくださる神さま・イエスさまがともに居てくださいます。そのことを信じ、39名のそら組・はやし組の子どもたちとご家族の、ここからの出発を祈ります。一緒に過ごせた春夏秋冬に感謝して・・・・。
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペトロの手紙一、5章7節)
大漉 知子