かえでの保育だより

お餅つきの風景から

1月にお餅つきをしました。子どもたちに「お餅つき」という文化を伝えたいというのが願いの一つです。それと子どもたちにかまどでお湯を沸かし、その上でもち米を蒸し、蒸し上がったもち米をつくというお餅が出来上がる過程を、見て感じて味わう時として大切にしたいと思っています。
 今年はあいにくの雨模様でかまどは軒下に作り、ホールでお餅をつきました。登園した子どもたちはかまどの周りに集まってきて、火が燃える様子を見ます。「木が燃えてる」「パチって音がした」「いい匂いがする」「(セイロの中に)何が入っているの?」「早く食べたいなぁ」・・・一人の子どもがやってきてしばらくかまどの前に座って火を眺めながら「こんなホンモノが見られるなんてしあわせ」と言いました。その口ぶりがあまりにもしみじみとしていたので私も「本当に」とだけ言っていっしょにしばらく火を見ていました。その子どもはしばらく火を眺めていると満足したように部屋に戻って行きました。
 かまどの側に入れ替わり立ち代りやってくる子どもの姿を見ながら、私は子どもの頃、祖母の家で毎年していたお餅つきの風景を思い出していました。かまどに薪をくべてもち米を蒸している祖母の隣で私も木のはぜる音を聞き、木が燃える匂いを嗅ぎ、もち米が蒸し上がるのを待ちました。そのうちにセイロから湯気が立ち上り、お米が蒸し上がった匂いがしてきます。蒸し上がったもち米を臼に移し、よく練ってつきあげます。立ち上る湯気・・・つき上がったお餅を味見させてもらったときのお餅のやわらかい感触・・・。
 匂いや音、味と共に親戚の笑い声、お餅をついている叔父の赤い顔、祖母が手返しをする合の手の声・・と色々なものが織り混ざりなんとも言えない幸せな時間がよみがえってきます。
 子どもだった私は手伝いをしたわけではなく、かまどの周りをうろうろし、お餅つきをする大人たちを見ていただけでした。しかし不思議と今、自分が幼稚園児でお餅つきの準備をしていると祖母が誰にともなく口にしていたお餅つきのコツのようなものが思い出されます。
 大人にとって子どもとの生活の中で大切なことの一つは本物の体験を与え、それを通して子どもの中に温かい幸せな記憶を残すことなのではないか、そのことが私に出来ているだろうか・・・とかまどの火を見る子どもの顔を見ながら思いめぐらしていました。

(永瀬真澄)

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
(詩編133篇1節)

ページトップへ