イエスさまがお生まれになった -神さまの愛に満たされるクリスマス-
11月、保育室の中に庭の隅々に木工室にホールに、気持ちを集中させて落ち着いて遊びこむ子どもの姿や、友だちと肩を寄せ合いまなざしを交わしながら遊ぶ子どもの姿が見られました。私は、「子どもが心の深いところで喜んで弾んでいる」と感じさせられ、春・夏・秋に育まれてきたものを思っていました。間もなく子どもたちのその生活の中に、クリスマスを待つアドベントの時が重なっていきます。
もうすでに街では一歩も二歩も早くクリスマスの装いを始めていて、美しさに目をとめさせられることもあります。楽しさを味わうのもクリスマスシーズンですが、私たちは同時に本来の「クリスマス」の意味―「クリスト(キリスト)マス(礼拝)」(キリスト礼拝)―を心にとめて、アドベントの一日一日を過ごし、クリスマス礼拝の日を待ちたいと思います。
子どもも大人も聖書に描かれている「本当のクリスマス」を礼拝と生活の中で感じ、ひとり子イエスさまを私たちにお与えになるほどの神さまの愛を知り、イエスさまが共に歩んでくださることの安心と希望を受けていくことと信じます。
2019年度のクリスマスの主題「イエスさまがお生まれになった ―神さまの愛に満たされるクリスマス―」の背景には、今年度のキリスト教保育連盟の主題「ことばに満たされて ―ひびきあう―」があり、4月からの保育の歩みがあります。
この「ことば」は、子どもが私たち大人から受ける音声やまなざしやふれあいによる語りかけであり、絵本や歌から受けるメッセージや文化でもあります。そして何よりも「神さまとイエスさまからの御言葉」であり、神さまイエスさまご自身でもあります。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」(ヨハネによる福音書1章より)と、聖書に綴られています。「ことばに満たされる」とは、「神さま・イエスさまの愛に満たされる」に置き換えることができます。そして実際私は子どもたちとの日々にそのことを感じさせられています。
保育者たちが、「クリスマスの主題を覚えた上で、アドベントの期間に大事にしたい聖書の御言葉」を出し合い語り合いました。そのいくつかをここに載せます。 (聖書を開いて読んでみていただけたら幸いです)
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネによる福音書1章9節)
「あなたの御言葉はわたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」 (詩編119編105節)
「光の子として歩みなさい」(エフェソの信徒への手紙5章8節)
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』 この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイによる福音書1章23節)
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカによる福音書1章28節より)
「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカによる福音書1章38節より)・・・・・・・・
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」 (ルカによる福音書1章45節)
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」 (ルカによる福音書2章11節~12節)
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」 (ルカによる福音書2章14節)
この年もアドベントからクリスマスへの時を、子どもたちと保護者の方々と大切に過ごしたいと思います。共に賛美をことば・歌・楽器・踊り・ページェント等で捧げ、喜び合いたいと思います。また、感謝と願いをことばにし、祈り合いたいと思います。
イエスさまは、―「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書13章34節)―と、言われています。このメッセージは、今私たち一人ひとりに語られています。私にとって、愛し合うことはしばしば難しいことです。ですが、イエスさまが共にいてくださいます。それゆえに今年も、アドベントを前にして「まことの光なるイエスさま、子どもたちや保護者の方々や先生たち、そして家族や友だちとの関わりの中で、また悲しみや苦しみの中におられる方たちを思って、愛をもち平和をつくり出すことができますよう、どうぞお支え助けてください」と祈っています。
すべての人に平和なクリスマスが訪れますように。
メリー クリスマス・・・・
大漉 知子