かえでの保育だより

配慮することとは

 九月・・・・私は毎年、夏のトンネルを抜けた子どもたちの姿とことばに、『ひとまわりたくましくなった』と感じさせられます。いつもと違う体験や交わりをしたからということもあるでしょうが、たっぷりと休息をとったということもその訳のひとつだと思います。夏休みの時間が次のシーズンへのばねとなり、「さぁ」とそれぞれのペースで動き出していく子どもたちです。私たち保育者もひとときの休息に安らぎ、また様々な研修を通しての新しい問いと課題に励まされて、次へと向かっています。

「子どもたちがやがて、『生きるっておもしろいね。いのちがつながりあっているんだね』と思う人になっていけるように考える」・・・・これは、ある研修から私が持ち帰って来たひとつの課題であり、希望です。

 その研修の講師(教育学者 汐見稔幸先生)は、子どもの傍らにいる大人としての私たちに、「子どもの今を充実させ、子どもが目をキラキラさせて過ごす遊びや生活をどれだけ続けさせられるか。また、そうしながら子どもが体験とともに身につけるものに配慮できているか」と語りかけられました。

  私は、汐見先生のことばを聞きながら、かえでの子どもたちのまなざしを思い浮かべていました。大きく重い積み木を真剣に運び続ける姿も、指先に全神経を集中させて小さな釘を押さえ金づちで打つ姿も、頭にはちまきを結びなかまとけんかしたり仲直りしながら鬼ごっこやリレーに熱くなる姿も、草むらにじっとしゃがんで虫探しをする姿も、絵本や物語を五感で聴きいっている姿も・・・その背後には様々ないのち(心)とのつながりがあります。汐見先生は、「配慮することとは、この子に今、本当に必要なことは何か?を考えること」と加えました。そのとおりだと思います。

 残暑はもう少し続きますが、やがて季節は変わります。子どもたちは光と風の中、たっぷりと遊び、じっくりと生活する秋の日々を過ごすでしょう。一人ひとりが、どのように動き出し、何を語り、何に夢中になっていき、誰と出会っていくか・・・保護者の方がたとご一緒に、『配慮』しながら楽しみたいと思います。

 子どもたち一人ひとりの必要を知り、お守りくださる神さまが共にいてくださいます。

 わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。」創世記2815より

大漉 知子  

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