学院の歴史

学院の歴史

東洋英和の歩み

本学院は、カナダ・メソジスト教会(現在はカナダ合同教会)婦人ミッションから派遣された宣教師ミス・カートメルにより1884(明治17)年、麻布鳥居坂に創設された東洋英和女学校にはじまります。
欧化主義に対する反動、国家主義の台頭、太平洋戦争の勃発といった苦難の時代もありましたが、キリスト教を礎とした東洋英和の姿勢は一貫して変わることのないものでした。こうして本学院の伝統と校風は時代を貫き脈々と生き続け今日に至っています。

東洋英和を築いた宣教師・先生がた

I. S. ブラックモア

I. S. ブラックモア (1863-1942)

第3・7・10・14代校長
1889年に東洋英和に着任。「厳しい中に自由がある」を教育理念とし、学校草創期の体制を整備、形成した。文部省訓令第十二号によるキリスト教教育の危機を前に、学則に「基督教主義」を打ち立て、新校舎建設を敢行した。東洋英和幼稚園初代園長。東洋英和の高等科が東京女子大学に合併するのに尽力し、同校の理事長も務める。また永坂孤女院や興望館の事業に携わり、社会事業の拡充、実践に努めた。

Isabella S. Blackmore
F. G. ハミルトン

F. G. ハミルトン (1888-1975)

第15・17代校長
1917年に東洋英和に着任。学校創立50周年を迎えるにあたり、校地拡張、新校舎の建設、学校の財団法人化に加え、校章、制服、校旗、学校標語「敬神奉仕」、校歌を制定するなど、現在に続く東洋英和の体制を確立した。第二次世界大戦中は、カナダのブリティッシュコロンビア州の日系強制収容所で高校を創設し、校長を務めた。戦後再来日し、短期大学保育科の初代主任として幼児教育の発展にも寄与した。

Frances G. Hamilton
長野 彌

長野 彌 (1904-1983)

初代院長
1933年に東洋英和に着任。太平洋戦争開戦によるカナダ人婦人宣教師帰国後の女学校の実質的な責任者となり、戦時下の苦境にあって学校の防護や経営に力を尽くした。戦後は25年にわたって院長として、学校の復興、校地拡張、経済的自立に努め、東洋英和が総合学園へと発展していく道を切り拓いた。豊かな自然の中での生活を教育の一環と考え、戦前戦後の野尻キャンプにおける野外教育の展開、充実に大きく関わった。

Wataru Nagano

年表

※ アイコンや写真をクリックすると、当時の様子をご覧いただけます。

1884年
(明治17)

東洋英和女学校開校

明治初期に創立したミッションスクールの多くが居留地の築地や横浜に位置していたのに対し、東洋英和女学校は旧大名屋敷が並ぶ麻布区東鳥居坂町14番地で開校しました。カナダ・メソジスト教会の宣教師ミス・カートメルによって創設された東洋英和の最初の生徒は二人だけでしたが、学校の教育と明治政府の国策だった欧化主義が合致し、瞬く間に生徒数を増やしていきました。カナダの婦人宣教師たちによる、キリスト教に根差した女子教育の歩みがここにスタートしました。

1888年
(明治21)

幼稚科(小学部の前身)を設置

1900年
(明治33)

東鳥居坂町8番地に新校舎落成

開校から16年目に学校は現在の中高部校舎がある東鳥居坂町8番地に移り、ブラックモア校長のもと、威風を放つ木造新校舎が完成します。この校舎建設の前年、学校で宗教教育が出来なくなる文部省訓令第12号が発布され、キリスト教学校に大きな影響を与えます。しかし、ミス・ブラックモアは正確な情報を集めたうえで、むしろ校則に「基督教主義」を高らかに掲げました。そして二度も台風で工事中の校舎が倒壊しても新校舎建設を貫き、東洋英和のキリスト教教育を堅持しました。

1905年
(明治38)

長野県上田の梅花幼稚園を実習園とし上田保姆伝習所(短期大学保育科の前身)を開設

1914年
(大正3)

東洋英和女学校附属幼稚園を開設

1919年
(大正8)

上田保姆伝習所を東洋英和女学校内に移転設置し、東洋英和女学校附属保姆養成所(のち幼稚園師範科と改称)を開設

1927年
(昭和2)

校章、校服を制定

1928年
(昭和3)

校旗、校色、標語「敬神奉仕」を制定

創立50周年を控えたこの時期に、ハミルトン校長のもと、カナダの国樹である楓をモチーフにした校章、セーラー服の制服、校色「ガーネットとゴールド」に彩られた校旗が制定されました。こうして現在に通じる「英和らしさ」がかたちづくられていきました。さらには、学校創設から脈々と受け継がれてきたキリスト教教育の精神を示す学校の標語「敬神奉仕」が定められ、東洋英和のミッション(使命)がより明確になりました。

1933年
(昭和8)

W.M.ヴォーリズ設計による校舎完成

数々のミッションスクールの設計を手掛けたW.M.ヴォーリズによる東洋英和の校舎は、建設されてから60年間、鳥居坂のランドマーク的存在でした。そこで学校生活を過ごした各時代の同窓生たちは、細部にいたるまで建築家の想いのこめられた建物に、日々温かさと美しさを感じていました。1996年竣工の現在の中高部校舎は、旧校舎の玄関とメモリアルチャペルを残すなど、ヴォーリズ校舎の面影を引き継いでいます。

1934年
(昭和9)

校歌を制定、創立50周年記念式典挙行

創立50周年の記念式は、11月6日の創立記念日に、カナダ公使、カナダ婦人ミッション代表者、齋藤實前総理大臣(春子夫人が卒業生。講堂に掲げられた「敬神奉仕」の書も揮毫)などが参列し、盛大に執り行われました。続く1週間は全校を挙げてのさまざまな祝賀行事となりました。すべての記念行事が終わったのち、当時の校長のミス・ハミルトンは「私どもは次の五十年のお祝いの計画者ではありますまいか」と語り、そのまなざしはすでに、来る50年先の東洋英和の未来に向けられていました。

1946年
(昭和21)

1941年より使用の「東洋永和」の名称を「東洋英和」に復す

1930年代、戦時体制が強化されていく中、東洋英和にも時代の波が押し寄せてきます。開校以来カナダ人宣教師が代々校長を務めてきましたが、日本人校長が就任し、ご真影を奉戴するようになりました。そして英語や英国に通じるとして、1941年には「東洋永和」に校名が変更されます。太平洋戦争が始まり、1945年の終戦まで、勤労動員のために学内に工場が設置されるなど、学校は最も困難な運営を迫られました。鳥居坂一帯も空襲で焼け野原となる中、学校は残り、1946年に「東洋英和」の名前を取り戻します。戦後の復興はそこから始まりました。

1947年
(昭和22)

新学制実施により、東洋英和幼稚園、および東洋英和女学院小学部、中学部、高等部(1948年設置)、保育専攻部と改組

1950年
(昭和25)

短期大学開学。保育専攻部を改組し、短期大学保育科を開設

1954年
(昭和29)

短期大学に英文科を増設

1959年
(昭和34)

軽井沢追分寮完成

東洋英和の小学生は昭和時代のはじめごろから、さまざまな宿泊施設を借りて夏期学校を行っていましたが、1959年に待望の校外施設として軽井沢追分寮が建てられました。初代の追分寮の設計は大江宏氏で、ノアの箱舟のようだと評され、小学部だけでなく学院のさまざまな行事や教会の修養会に使われていました。現在の追分寮は1996年に建て直され、小学部の夏期学校をはじめ、東洋英和幼稚園やかえで幼稚園のキャンプにも活用されています。

1970年
(昭和45)

野尻キャンプサイト完成

東洋英和が誇る野尻湖での野外教育は1935年に始まります。学校は、戦前にも野尻湖にキャンプ用の建物を持っていましたが、戦時中の財政難のため手放します。そして、戦後はYMCAの野尻学荘を借りてキャンプが再開し、1970年には念願の東洋英和独自の野尻キャンプサイトが完成しました。現在の施設は2005年から段階を経て建て替えが行われ、多種多様なプログラムが行われています。今も昔も変わらず、豊かな自然の中での共同生活から、互いに仕える奉仕の心を学ぶ「野尻っ子」たちが育っています。

1973年
(昭和48)

短期大学付属かえで幼稚園を開設

1984年
(昭和59)

創立100周年記念式典挙行

カナダの婦人宣教師の教師たちによって創立50周年が導かれたのちには、宣教師に代わる日本人のキリスト者である先生がたが学校を支えました。東洋英和は第二次世界大戦下の困難な時代を生き抜き、戦後の復興を経て、麻布鳥居坂に幼稚園から短期大学を備え、さらには短期大学の実習園であるかえで幼稚園を擁する総合学園へと発展しました。100周年には新たに横浜の緑区に校地を得て、短期大学の移転、4年制大学の開学が計画され、宣教師たちも強く願っていた女子高等教育の充実が展望されました。

1986年
(昭和61)

短期大学を横浜校地に移転、国際教養科を増設

1989年
(平成1)

大学開学(横浜校地)、人文学部を設置

1993年
(平成5)

大学院を開設(夜間・男女共学。六本木校地)

1995年
(平成7)

大学を改組し、人間科学部と社会科学部の2学部とする。短期大学を大学短期大学部と変更

1997年
(平成9)

生涯学習センター(2025年度より社会連携センター)を開設

1998年
(平成10)

大学短期大学部を廃止。大学短期大学部付属かえで幼稚園を大学付属かえで幼稚園と変更

2009年
(平成21)

東洋英和楓の会 設立

東洋英和では、卒業生、さらにはその保護者やご家族、現旧教職員が、卒業や退職後もずっと学校に愛着を持って交流していることが特徴として挙げられます。そのような「オール東洋英和」のメンバー同士が末永く、学校を物心両面から支え、学院の教育のさらなる充実と会員相互の交流と共励を目指す組織として、「東洋英和楓の会」が設立しました。「楓の会」では、会員をつなぐ学院広報誌「楓園」の発行や、教育講演、芸術公演を実施し、東洋英和の支援者の輪を広げています。

2024年
(令和6)

学院創立140周年記念式典挙行

2人の生徒から始まった東洋英和は、1989年に大学開学、1993年には大学院も開設され、六本木校地と横浜校地に広がる学園となりました。東洋英和ではどのような時代にあっても、キリスト教に基づく人格形成が重んじられる教育が行われてきました。140周年には「敬神奉仕 Being Active in God's World-神さまから委ねられた世界で、人々のために自ら考え行動する―」という150周年に向けたビジョンが策定されました。社会において果たすべき役割を、常に思考し自走する英和生たちを育てていく、東洋英和の歩みは続いていきます。