2017年度9月期学位授与式 式辞
修士号あるいは学士号を授与されて、本日ここに晴れて修了および卒業されるみなさん、おめでとうございます。みなさんの在学中のご努力に対し、衷心より敬意を表したいと思います。ご家族の方々もさぞお喜びのことと拝察いたします。また御来賓の皆様には、ご多忙のなかをご参列いただき、こころから感謝申し上げます。
さて、学位を授与されるということは、授与する側、すなわちこの東洋英和女学院大学がそれぞれの学位に相当する能力を世の中に対して保証するということにほかなりません。これを大学の内部質保証と言いまして、近年文部科学省や大学基準協会などから非常にやかましく各大学が求められるところとなっております。お前の大学はいったい、どのような人間を育てて社会に送り出そうとしているのか。どの程度の基準を満たせば、そうした人間として認めて学位を与えるのか、その基準と方針を示せ。これをディプロマ・ポリシーと言います。そのような人間に育て上げるために、如何なる教育のプログラムを持っていて、どんな指導を行っているのかを示せ。これはカリキュラム・ポリシーと呼ばれます。さらに、そうした教育や指導に堪えて立派に育っていくような人間をどうやって発見し、選抜し、受け容れているのかを示せ。これすなわち、アドミッション・ポリシーであります。アドミッション、カリキュラム、ディプロマ。この三つのポリシーを明確に掲げて、実践していないと、補助金を交付しない。あるいはまっとうな大学の基準を満たしていると認定しない。これが昨今の社会の趨勢になっているわけです。その意味では、みなさんは本学が掲げる三つのポリシーを順次クリアして、本日ここに本学がその質を保証する修士あるいは学士として認められて、この式典に列席しているのです。まことに慶賀に堪えません。
さはさりながら、です。私自身は、このような社会の趨勢にはどうしても違和感を禁じ得ないのも事実です。高等教育の教育現場である大学や大学院が、さながら工場や企業と同列に看做されているように思えてならないからです。原材料として高校生や社会人を仕入れてきて、数年間をかけて技術や知識や能力を身に付けさせ、一定の品質になったら社会の求める「人材」として世の中に送り出す。そのような発想が透けて見えるのです。ひとつ例を出しましょう。私の最も好む工業製品の、ある会社のホームページから拝借しました。「○○県産の厳選した酒造好適米『△△△』を精白し、六甲山系の伏流水である神秘の水『○△』を仕込み水として使っています」、これはアドミッション・ポリシーですね。「水と米と米麹から、昔ながらの手作業で四週間かけて造り上げる、本流『▽▽造り』。人の手による『手作り』で、江戸時代以来の生酛造りが醸し出される半年にわたってさまざまな工程が積み上げられます」、これはカリキュラム・ポリシーでしょう。「○▽□が名だたる料理店で高い評価を得ているのは、味の良さはもちろん、年による味のばらつきがなく、高いレベルで安定しているからこそです」、ここにディプロマ・ポリシーが語られています。
私たちは、工業製品を生産しているのではありません。常套句として使われる言い回しに、「人材を育成する」という言葉がありますが、私はこれも大嫌いです。人間は材料ではない。大学や大学院で獲得する技術や知識や能力は、それを社会においてどのように活用するかを考える頭と、何のために活用するのかを感じる心とがセットになっていなければ意味を持ちません。本学がみなさんに学位を授与するのは、ただ必要な単位を修得したから、論文審査を通過したから、というにとどまりません。社会人として、あるいは高度職業人として出発するにあたり、そのような強い頭としなやかな心を十分に涵養したものと認定したからでもあります。それが、「敬神奉仕」を建学の精神とし、キリスト教に基盤を置いた全人教育を目指す東洋英和女学院の大学および大学院の本来の意味でのディプロマ・ポリシーです。
最後になりますが、学位記とともに、皆さんのお一人おひとりにピンクのバラの花をお贈りしようと思います。例年3月の学位授与式においては黄色い水仙の花が贈られておりますが、季節が季節でありますのでこれに替えてバラの花にいたしました。その花言葉には「上品」「気品」「輝かしい」などいろいろあるようですが、この場の皆さんにもっともふさわしいのは、「誇り」であろうと思います。皆さんは本学の真のディプロマ・ポリシーに適合したのです。自信と誇りとを持って、世の中に漕ぎ出して行ってください。みなさんの航海の無事を祈りつつ、これを以て私の式辞といたします。
2017年9月16日
東洋英和女学院大学
学長 池田明史