大学院トップページ大学院からのお知らせ > 2015年度大学院入学式 式辞

2015年度大学院入学式 式辞

東洋英和女学院大学の大学院に進学された皆さん、このたびは誠におめでとうございます。ご家族並びに御来賓の皆様には、ご多用の中、御臨席賜りましたことを厚く御礼申し上げます。

革めて申し上げるまでもなく、この大学院は社会人対象の夜間大学院であります。皆さんは、職場や家庭において社会人としての責任を果たしながら、さらに大学院において専門的な知見の獲得と学問的な研鑽を積まれようと決意されて、この場に臨んでおられるのでしょう。何よりも、その志に対して心よりの敬意を表したいと思います。 専門的知見と学問的研鑽。月並みな言葉に聞こえるかも知れませんが、おそらく現在ほどその意義が問われる時代はかつてなかったのではないかと思います。私どもの「いま」の「この」社会は、一言で言えば「価値喪失の社会」になりつつあるからであります。 どういうことでしょうか。この現象は、人間科学研究科であると、国際協力研究科であるとを問わず、私どもが正面から直視しなければならない喫緊の課題として立ち現われてきておりますが、私自身は国際政治学を専門領域としておりますので、そこに引き付けてお話ししたいと思います。 周知のように、私どもの社会は、近代の合理主義に基づいて、「自由」や「人権」、あるいは「民主主義」といった価値理念を、いわば自明の前提として設計され構築されてきたものです。長く続いた冷戦時代には、東西いずれの陣営がそれらの価値理念をよりよく実現できるかがイデオロギー上の争点となったのであって、価値理念そのものが疑われたことはありませんでした。冷戦が過去のものとなった90年代になって、ヒト・カネ・モノ・情報の交流が急速に拡大し、地球が一体化していくいわゆるグローバル化(globalization)の進行の中で、例えば「グローカル」という言葉が人口に膾炙するようになりました。そこで標榜された、"Think Globally, Act Locally"というスローガンには、皆さんも聞き覚えがあるのではないでしょうか。敢えて意訳すれば、「地球の規模で考えて、できることからコツコツと」といったところでしょうか。 問題は、21世紀に入って、9.11事件などを契機としていわゆるポスト・ポスト冷戦期を迎えると、「地球の規模で考える」価値それ自体が必ずしも自明とされなくなってきたところにあります。中東やイスラーム世界を震源地として、これでもかというほど重ねられてきた国際政治上の地殻変動は、私どもが自明としてきたはずの自由・人権・民主主義といった「グローバルな価値」が「ローカルに浸透していく」という極楽蜻蛉的な幻想を木端微塵に粉砕しつつあるように思えてなりません。「イスラーム国」を僭称する狂信的な武装テロ集団の跋扈にせよ、パリのシャルリー・エブド誌襲撃事件に象徴されるホームグロウン・テロリストの跳梁にせよ、当事者たちはどこまでも"Think Globally, Act Locally"の意識の上に行動を起こしていると見るほかないでしょう。彼らは確かに、「できることからコツコツと」行動を起こして、その結果凄惨な暴力と流血の巷を現出したことになります。 意味や価値が解体されつつある状況は、こうした社会科学の領域にとどまるものではありません。科学技術の加速度的な発達や社会の多様化・複雑化、そしてグローバル化という事態の中で、人間の生命そのものの価値あるいは生きていることの意味といった、人間科学領域の主要なテーマもまた問い直しを迫られています。詰まるところ私どもの社会はいま、「地球の規模で何(´)を(´)考えればよいのか」という問いを突きつけられているのです。これに対して、茫然と立ち尽くしている暇はないはずです。専門的知見を総動員し、さらなる学問的研鑽に拍車を掛けて、このアポリア(難局)を突破し、価値理念の確認もしくは再発見と、そしてその再構築を目指さなければなりません。そのことがそのまま、この東洋英和の建学理念である「敬神奉仕」の精神を受け継ぐことにつながると私は考えておりますし、実社会において価値の喪失や意味の解体の現実を目の当たりにしているであろう皆さんであればこそ、そのことの持つ重みを十分に自覚されているものと信じます。

皆さん、東洋英和女学院大学大学院にようこそ。私どもは皆さんの御入学を心から嬉しく思っております。社会人生活と研究生活という二足の草鞋を履くのは本当にご苦労だろうと思いますが、この大学院において「いま」の「この」時代に求められる生きた専門的知見を獲得し、学問的研鑽を積まれることを切に期待して、私の式辞といたします。

2015年4月4日

東洋英和女学院大学

学長 池田 明史

前へ
一覧へ戻る