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2014年度 学位授与式 式辞

 修士号の学位を授与されて、本日ここに晴れて大学院の課程を修了されるみなさん、おめでとうございます。仕事と学問とを両立させてきたみなさんのこれまでのご努力に対し、そしてその努力を支え続けたご家族の方々のサポートに対しまして、心からの敬意を表したいと思います。また御来賓の皆様には、ご多忙のなかをご参列いただき、まことに有難うございます。
 さて、みなさんの多くは社会人として昼間は仕事に精勤し、その疲れを抱えたままこの夜間大学院に通われて学問の研鑽に励まれたわけですね。大変なご苦労であったと拝察いたしますが、それだけに得るものもまた大きかったのではないかと考えてもおります。それは、必ずしも達成感の大きさというばかりではありません。その辺りのことをお話しして、みなさんの新しい門出の餞(はなむけ)としたいと思います。
 革(あらた)めて申し上げるまでもありませんが、大学院はかつて研究者の養成を第一義としておりました。時代を経て、高度の専門職業人育成を大きな目的とするようになった本学のような大学院においても、そのようなかつての名残をそこここにとどめております。一般に研究者というと、ともすれば「浮世離れした世間知らず」といったイメージが付きまといます。あるいは「象牙の塔に籠った変人」というようなステレオタイプが存在すると申し上げたほうがわかりやすいでしょうか。こういうと、如何にも研究者をネガティブに捉えているように聞こえるかもしれませんが、私は、これはこれで研究者の社会的機能の一端をはっきりと言いえているのではないかと思っています。苟(いやしく)も研究者を名乗る以上、世間のいわゆる常識に囚(とら)われてはなりません。世間の常識から見れば、「浮世離れ」と揶揄されようが、「変人」と指弾されようが、正当な手順を踏んで自分が検証できたと信じるのであれば、それが真実である・真理であると主張しなければなりません。世間を憚(はばか)って、自分はこう思うのだけれども、これを言うと角が立つから、波風が立つから黙っておこうとか、さりげなく提示するにとどめようとするのであれば、そのような人物は研究者の名に値しません。ときとして、世間が雪崩を打つように一つの方向に流れ出すのに対して、一人敢然と異議を唱え、流れに竿を差さなければならないのです。
 さはさりながら、であります。こうした研究者の立ち居振る舞いは、世間一般の人々の目にはまことに傲岸不遜に映ります。研究者を自負する者から、「お前は間違っている。世の中が間違っている。俺が、俺だけが正しいんだ」と凄まれて、「その通りでございます。恐れ入りました」などと平伏して納得する人間なんか居りません。「バッカじゃないの」とせせら笑われるか、せいぜい敬して遠ざけられるかが関の山ということになります。自分の議論や学説を社会に流通させるためには、世間の常識に沿った論理で一般の人々を説得しなければなりません。学問研究上の知見すなわち「学知」を世の中に問うためには、世間一般の知恵つまり「世間知」を有効に活用しなければならないのであります。学知と世間知という、本来は二律背反に陥りやすい両者を架橋するのは、詰まるところ研究者個々人の内面におけるギャップの自覚、ズレの認識を措いてほかにありません。「俺は正しい。しかしそう考える俺の価値観・規範意識は、世間一般のそれと異なっていて、そのままでは通用しないかも知れない」という緊張感を持ち続けられるか否か。それがすべてを決定すると考えていいのではないでしょうか。学知に優れた変人でもなければ、世間知に長(た)けた俗物でもない、二つの「知」の世界にそれぞれ片足をかけながら、決して股裂き状態にならない。そのような人間を私どもは「見識のある人間」と呼ぶのであります。
 日中は世間知に塗(まみ)れた職場で汗を流し、夜間や週末、本学大学院で学知の習得に邁進されて、このたび目出度く学位を受け取られたみなさんにこそ、そうした「見識のある人間」の意味するところがよく理解できるはずだと確信しております。
 今回からの試みとして、本学では学位記とともに修了生お一人おひとりに黄色いスイセンの花をお贈りすることにしました。これは東洋英和女学院の卒業式では古くから行われている慣行で、その起源は戦前にまで遡ります。学院所縁(ゆかり)の地であるカナダでは、黄色い水仙は主であるキリストの受難と復活を記念するこの時期に一面に咲き誇るところから、レントリリー(「受難節の百合」)とも呼ばれる花です。復活のキリストを仰ぎ、その光の中を一歩一歩着実に、雄々しく歩んで行って貰いたい。そのような思いの下に、今般、学院の本部および後援会のご理解とご協力を賜って、英和130年の歴史の中では最も若い家族であるこの大学院においてもその伝統に倣うことといたしました。英和のスクールモットーである「敬神奉仕」は、神すなわち真理である「学知」の前に謙虚に、そしてこの世の中を「世間知」を持ってやはり謙虚に歩むとも解釈できます。このことを指摘して、私の式辞といたします。
 

2015年3月14日

東洋英和女学院大学

学長 池田明史

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