顔の見えないテロリズム

2013年04月25日

国際協力研究科 望月克哉

はじめにmochizuki_katsuya.jpg
 去る4月15日に米国ボストンで発生した連続爆破事件は、ロシア南部出身で滞米10年になるチェチェン人兄弟が引き起こしたもの、と報道されている。オバマ政権による威信をかけた捜査の結果、数日のうちに容疑者たちは逮捕され、事件に対する関心は彼らの犯行の意図、さらには事件の背景に移りつつある。ボストン・マラソンというイベントを狙った犯行の性格、爆弾製造を含めた破壊活動としての手法などの点から、事件発生の当初にはテロ組織の犯行という見方があった。それどころか、拙速に今回の事件をアルカーイダと結びつけるニュースが流れたことも記憶に新しい。
 こうした報道も9・11以降の米国政府の姿勢からすれば、うべなるものとせざるを得まい。テロリストに対する断固たる姿勢は、もはや米国の政府とその市民だけのものではなく、世界にあまねく拡がっているからである。あらゆるものを「水に流す」ことが常の日本社会ですら、無差別殺人や破壊活動を伴うテロリズムに対する認識は大きく変わりつつあると言って差し支えあるまい。恐怖にすくむのではなく、これに立ち向かうという姿勢、「テロとの戦い」の意識が醸成されている。
 しかしその一方で、初期報道における問題もあったことは上述のとおりである。事件の原因や背景はもちろん、事態の展開が見えづらいものほど、その様相をいち早く伝えることが求められる。なぜなら、得体の知れない犯人や犯行の性格を示唆することが、人びとの不安を減じることにつながるからであり、ジャーナリストや報道機関としても事件の解説を避けることはできない。取材が十分ではなく、説明の材料に乏しい段階では、様相の似通った事件や犯行からの類推で語らざるを得ないのであろう。
 そもそもテロリズムの本質とは、人びとの恐怖心を掻き立てることにあり、殺傷や破壊はその手段である。テロリストのねらいは、事件をセンセーショナルで大きなものとするだけではなく、自らの存在を理解しにくいものとしておく点にもある。したがって、被害が甚大で、犯人像が見えてこない事案ほど、テロ事件としてのインパクトは大きいことになる。人間の安全保障に関心を抱く者の一人として、こうした事案に関与する主体について、自らの研究フィールドである西アフリカの事例から考えてみたい。
 
地域不安定化の様相
 アフリカ地域に生じた政治的不安定化は、国際関係論では冷戦後における地域紛争の頻発という文脈で、また政治経済学では経済構造調整や「民主化」による国家とその権力のゆらぎといった視点から論じられてきた。西アフリカ諸国の動向をみると、リベリアやシエラレオネ、さらにコートディヴォワールといった紛争国の情勢が安定化に向かう一方、依然として軍事クーデタによる政権転覆も発生しており、たとえばマリでは反政府武装勢力が主要都市を占拠する事態に至るなど、不安定化の様相は払拭されていない。
 こうした事態を招来している要素のなかで西アフリカ各国の政府にとって脅威となっているもののひとつがテロリズムなのである。1980年代以来の経済構造調整の下で拡がった格差により利権の争奪は激化し、1990年代からの「民主化」がもたらした選挙サイクルは社会大での政争を周期的にもたらしてきた。かくして人びとは経済的、政治的な不満を募らせ、政府への批判を強め、ときに反抗すら試みている。労働者によるストライキ、地域住民の抗議運動など、政府に対する異議申し立てとしての大衆行動ばかりではなく、マリのように武装集団が政府に力で対抗する動きすら出てきた。中央政府の警察・治安能力に挑戦する動きのなかでも、テロリズムは最も深刻な問題と言えるだろう。
 「テロとの戦い」が本格化する中、米国はじめ英仏ほか関係国は西アフリカ諸国のテロ対策にも支援の手を差しのべた。植民地宗主国たる英仏両国は、それぞれ旧英領、旧仏領諸国に軍事援助を行ってきており、米国もまた親米政権を中心に技術やノウハウの移転を試みている。石油ほか資源部門をはじめとするビジネスの治安対策には民間セキュリティ会社も要員を派遣しており、こうした形での関与も考慮すれば、西アフリカ諸国といえどもテロ対策に手を拱いていたわけではない。
 それにもかかわらず西アフリカを“テロの温床”と見る動きがあったことも事実である。ウサマ・ビンラーデンの存命中、アルカーイダの活動が中東地域以外にも拡散したとの見方が支配的となり、西アフリカのムスリム住民がその受け皿になると考えられていた。内陸の辺境地域にテロリストの訓練キャンプがあるという噂が出たことも、一度や二度ではない。各国政府の国境管理の甘さ、そこを狙った違法な武器流通などが、この噂をまことしやかなものとしていたのである。
 
ナイジェリアとテロ
 西アフリカにおける“テロの温床”とみなされた国のひとつがナイジェリアであった。アフリカ第一の人口大国、250を超える言語グループからなる多民族国家であり、また石油や天然ガスの産出国として新興経済とも目され、人びとの活発な経済活動でも知られている。長く軍政下にあったが、1999年に民政移管を達成して「民主化」の面でも一定の成果を上げてきた。とは言え、選挙をめぐる暴力が皆無というわけではなく、民政移管後には大臣経験者の殺害といった事件にも発展している。多民族社会の常として、異なった社会背景をもつ住民同士の反目・対立も目立つ。とくに石油産出地域では住民による権利要求運動が激しく、これが昂じて武装集団化した青年組織も少なくない。紛争の種が尽きない国家と言ってよい。
 近年、ナイジェリア連邦政府が苦慮している問題のひとつは、同国北部で頻発している正体不明の武装集団による銃撃事件や爆破事件である。2009年頃から、北東部ボルノ州の州都マイドゥグリはじめ北部の主要都市で、治安部隊との銃撃戦、警察など公共施設やキリスト教会の爆破といった事件が目立ち始めた。とくに国際社会の耳目を集めたのは、2011年8月に首都アブジャに所在する国連オフィスで発生した爆破事件であり、日本のメディアも外電として伝えている。また2012年4月には、首都と北部の都市カドゥナの2ヶ所で主要全国紙の事務所が連続爆破されたほか、北部の大学内でも銃や手製爆弾による襲撃事件が発生した。その後も頻々と事件が続いているものの、容疑者やその背景については謎ばかりである。
 このうち北部の中心都市カノの大学で発生した事件について、日本のメディアの1つは2012年4月29日付けの記事で「ナイジェリアで大学襲撃、約20人死亡、礼拝中に銃や手製爆弾」というヘッドラインを付して概容を伝えた上、次のように報じている。「犯行声明は出ていないが、イスラム過激派ボコ・ハラムによる襲撃の可能性がある。<中略>ボコ・ハラムは現地の言葉で「西洋の教育は罪」を意味し、全土にシャリア(イスラム法)の導入を要求。国際テロ組織アルカイダとの連携も指摘され、キリスト教会や治安当局などへの攻撃を繰り返している。」[1]
 この記事の中で「ボコ・ハラム」と呼ばれている組織が、ナイジェリア北部で続発している銃撃事件や爆破事件の実行犯と見なされている。一連の事件をめぐって、この組織に関する報道が幾つも出てきており、たとえばBBC Newsのウェブサイトには2012年1月11日付けで「ナイジェリアのイスラーム主義組織ボコ・ハラムとは何者か?」をタイトルにした解説記事が掲載されている[2]。それによれば、この組織のアラビア語の名称はJama’atu Ahlis Sunna Lidda’awati wal-Jihad で、預言者の教えとジハードの宣教を行う人びと、といった意味になる。組織が拠点を置くとされるナイジェリア北東部で広く話されているハウサ語による通称は「ボコ・ハラム(Boko Haram)」で、イスラーム教徒が西洋社会の政治・社会活動に関わることへの禁忌を示唆することから、上述の記事にあるような「西洋の教育は罪」といった意味合いもあるようだ。
 
テロリズムの背景
 「ボコ・ハラム」については、メディアばかりでなく研究者も関心を抱き始めており、関連情報を整理しつつ、その活動の背景や組織について考察を行っている。まず第一に、ナイジェリアをめぐる国際環境として、同国北部が紛争基調のニジェールやチャドと近接していること、さらに両国の背後に位置している国々、マリでは反政府武装闘争が続き、リビアでは国内紛争の末に政権が崩壊に至ったことなども視野に入れて、それらの国々からの武器の流れと組織の武装化の関連といったものが想定されている。
 次にナイジェリア国内の政治的文脈としては、とりわけ1999年の民政移管後に顕著となった宗教の政治化が指摘されている。とりわけ北部諸州の民選知事たちが、ムスリム社会の秩序の引き締めといった名目で、シャリーア、とくに厳しい刑罰を伴うイスラーム刑法典を施行したことが、人びとの不安を掻き立てたばかりではなく、原理主義者ほかイスラーム主義を奉ずる人びとの反発を買っているとみる。そこに州知事をはじめとする政治家たちによる、イスラームを隠れ蓑にした政治的操作が垣間見えるからであろうか。
 さらに、ナイジェリアに拡がる社会的亀裂が指摘されている。ナイジェリア経済が成長を遂げている一方で、階層間、地域間の経済格差はいっそう拡大しており、とくに北部住民の貧困は深刻さを増している。困窮状態から脱し、事態を打開する道筋が見えないために、人びとのあいだの不平不満はいっそう昂まっている。とりわけ青年層は不満の捌け口を暴力に求めることがままあり、「ボコ・ハラム」の破壊活動にも結びつきかねないという見立てである。
 上述した説明は、いずれも事件の遠因や背景としては納得できるものであり、ナイジェリア北部に「ボコ・ハラム」を生み出す土壌があったことは分かる。また、ムスリム社会が抱える問題、イスラームをめぐるポリティクスというものも見えてくる。しかしながら、それらとテロリズムを直接的に結びつけるわけにはゆくまい。ナイジェリアでは同様の経済的、社会的、政治的文脈でさまざまな紛争や事件が生起しており、それらと「ボコ・ハラム」が関わる事件との差異を理解するためには、やはり組織やその構成員の特徴を明らかにする必要があるだろう。
 
おわりに
 「ボコ・ハラム」の出自や、武装化に至る経緯なども解明されつつあり、創始者とされる人物や、その死後に組織を引き継いだとされる指導者についても部分的には明らかになっている。とは言え、現指導者がメディアに姿をさらしたのはインターネット動画だけであり、現段階で直接の接触ができているのも限られたジャーナリストのみとされている。そもそも「ボコ・ハラム」に組織としての実体があるのか、あるいは複数の組織のネットワークなのか、はたまたヴァーチャルな存在に過ぎないのか。それすらも把握できておらず、いまだに実体が分からないために、人びとはこれからも暴力に脅え、ナイジェリア連邦政府や各州政府も引き続き対処に苦慮することになろう。
 世界各地で発生するテロ事件について、各国治安当局は「テロとの戦い」を掲げて首謀者やその組織的背景の解明に邁進してきた。想定されていたテロの主体とはアルカーイダのようなテロ組織であり、これを叩き、そのネットワークを断ち切ることに主眼が置かれたのである。ところが近年の傾向として、外からやってくるのではなく内から生じてくるテロ、すなわち「ホームグロウン(home grown)」の増加が顕著になりつつある。われわれが真に見据えるべきなのは、テロリストの顔ではなく、彼らをテロリズムに駆り立てた社会がもつ別の顔なのかもしれない。


[1] http://sankei.jp.msn.com/world/print/120429/mds12402920370007-c.htm 、2012年9月4日閲覧。
[2] http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-13809501?print=true、2012年9月4日閲覧。
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