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国際社会における日本の「立ち位置」の変化と開発援助のあり方

2013年05月17日

国際協力研究科 石井香世子

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 1990年代の終わりに私は学生として東南アジアのタイに留学し、それから「一回り」した2010年、再びタイの大学に客員研究員として籍を置いて長期滞在をしました。タイで実感したその12年間の変化は、何と劇的なことだったでしょうか――そして同時に気付いたのは、「同じこの12年間、日本ではほとんど何も変わっていない」という事実でした。1990年代の終わりに私がタイに留学したころ、タイの女子大生たちはみんなサラサラの黒髪を肩まで垂らし、化粧をしない素顔に白いブラウスに(くるぶし)まで隠れる長さの黒いロングスカートの制服を着、楚々とした佇まいで行き過ぎていきます放課後に大学生たちは近所の市場の二階の食堂街に集まり、熱帯の空気の中、扇風機の風を浴びながらビニール袋に入った青マンゴーに唐辛子とザラメ砂糖をつけて食べる“おやつ”をみんなで分け合って、飽きることなくおしゃべりをしていたものでした。熱帯特有の熱気と学生たちの意気込みは、当時の日本の大学生からは眩しく見えたものでした。その頃は、日本人留学生が持っているノート型パソコンやカメラは、それを持っているだけで未来から来たように一種畏敬の念を持って見られ、多くの日本人がいい気になったものでした。ただ当時は大学の女子トイレで化粧直しをしていると、後ろを通る学生たちの自然が冷たく、「化粧をするのなんてそういう職業の女だけだから。やめた方がいいわ」と忠告をされたものでしたが…。当時は、タイ人に生まれるか日本人に生まれるかが、その人の人生を決定すると思われていました。タイ人に生まれれば、都会のお金持ちの家に生まれても、放課後に大学生が遊ぶ「インフラ」が無かったのですから。ishii02.JPG
 しかし、その同じ大学の同じ女子トイレに、12年後の2010年には「禁煙」の二文字が貼ってありました。タイ人の消費・行動パターンが一変したのです。同じ大学の同じキャンパスに、今や日本の女子大生よりよほど思い切った化粧の女子学生たちが、染めた髪をくるくると巻き髪にして、制服のスカートをこれでもかとばかりに短くしてキャンパスを颯爽と歩いています。そこここの学生はあからさまなブランドのロゴが散りばめられたバックを持ち、日本の学生より最新鋭の型のパソコンや電話を持っていたりします。かつての「市場とその2階」はなくなり、学生たちはかつて外貨を持つ観光客だけが通った通りのバーに繰り出し、エアコンの効いたバーで日本人学生と何ら変わらぬ娯楽を享受するようになりました。もはや日本人留学生がノート型パソコンを持っているからと言って、畏敬の念で見られることもなくなりました。「韓国人や中国人の留学生と違って、日本人の女の子たちって、地味よね」と言われるようになりました。
 日本が変わらないでいるこの20年間、東南アジア諸国はすっかり発展し、かつてのような「先進国に生まれたことが特権」ではなくなりました。かつての「途上国」の豊かな階層に生まれたほうが、国内格差の進んだ「先進国」の下層社会に生まれるより、ずっと豊かな物質的人生を享受する時代となったのです。このような時代の変化の中で、相対的な日本の地位はアジア域内でぐんぐんと下がり、日本人と東南アジア人の関係性は、外から見れば日本人が考えているよりはるかに大きく変わりました。つまり日本と日本人であることの価値が下がったのです。ishii03.JPG
 このような時代に、日本は誰を援助し、何を目的として援助をするのでしょうか。援助先国の在り方も日本の在り方も、開発援助が華やかだった1980年代とは全く異なっているという前提の上で、新たな開発援助の在り方を見据える必要がありそうです。
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