「アラブの春」再考(1)
2012年12月21日
国際協力研究科 池田明史
アラブの春
2010年末にチュニジアから発火し、瞬く間にアラブ世界全域に燃え広がった中東の「民主化」運動、いわゆる「アラブの春」の嵐は、2011年を通して吹き荒れた。年初にチュニジアのベンアリ大統領を国外亡命に追いやり、春にはエジプトのムバラク大統領を引き摺り下ろし、夏にはリビアの指導者カダフィ大佐を殺害、年末までにイエメンでもサーレハ大統領が退陣するなど、各地でそれぞれ数十年続いてきた独裁支配の看板をいとも容易く打倒して見せたのである。2012年に入っても、この嵐は荒ぶり続け、シリアは完全な内戦状態に陥って数万人の犠牲者を数えるに至り、しかもなお収拾の展望は立たないままである。
ドミノ現象の遮断
これら一連の政治変動を、われわれはどのように把握すべきなのであろうか。「アラブ世界全域に」燃え広がったと記したが、しかし結果として体制が打倒されたのはチュニジアとリビアとの二カ国にとどまる。アラブ最大の国家エジプトでのムバラク退陣とその後のムスリム同胞団による奪権の経緯は大きな衝撃ではあったが、しかしこの政変を事実上規制し、政権交代に道筋をつけたのは旧来より最大の実力集団であった国軍であり、いわば「将校の共和国」としての「国体」それ自体は依然として健在である。これを体制打倒・変革と呼びうるかどうかは微妙なところであろう。イエメンでも同然で、退陣したサーレハは刑事訴追を免責された上、相変わらず与党指導者として隠然たる勢力を保っている。内戦でもはや政府としての正当性を失い、交戦団体と化したシリアのアサド政権は、それでも軍事的には圧倒的に優勢で、ここでも体制打倒が実現したとは言い難い。バハレーンでは、騒乱が繰り返されるものの、結果的には常に体制側に抑え込まれて変革にはつながっていない。他の諸国では若干の混乱が見られたものの、体制自体はそれぞれ安定を回復している。アラブ連盟加盟国22カ国中、単なる政権交代を含めても体制の転覆や大きな動揺を経験したのは6カ国に過ぎない。
二つのベクトル
それでもなお、「アラブの春」がそれまで盤石と考えられていた各国の権威主義的支配の体制を根底から揺るがす契機を胚胎していた事実は見逃せない。アラビア語という同一言語に乗って、チュニジアに発した独裁拒否と自由化希求のメッセージは、燎原之火の如くアラブ世界を席巻した。そうした横断的なベクトルが6カ国まではドミノ現象を起こしたが、それを越えて波及しなかったのは、それぞれの国家の民族的宗派的構成や歴史的経験の相違、あるいはふんだんな石油資源に支えられた財政的余裕の有無といった個別的なベクトルの存在によるものである。フェイスブックやツイッターといった新たな社会的ネットワーク(SNS)が民族・部族・宗派という地縁血縁に支えられた伝統的なネットワークとどのような関係を切り結ぶかは、国情により異なる。また、ヨルダンやモロッコなど、相対的に王室の支配の正統性が浸透していたり、それなりに体制の「風通し」がよいと感じられていた国々では不満の噴出の態様や圧力が抑えられたのも事実であろう。サウジアラビアをはじめとする湾岸産油諸国では、支配の正統性は豊富な石油収入によるバラマキ政策によって補完され、結果的に「金で解決」する手法が奏功したとも言える。イラクやアルジェリア、あるいはレバノンなど、直近の過去に激しい内戦を経験した記憶がなお新しい国々では、そのような混乱の再来を忌避する社会共通の意識が作動したという側面もあろう。それら諸国においては、民主化の騒乱は経験済みということでもある。イスラエルの占領支配下にあるパレスチナでは、パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハやイスラム原理主義政党ハマスといった直接の統治権力に対する異議申し立てよりも、とにかく異民族の占領から脱することのほうが優先順位は遥かに高いといった事情により、反独裁・自由化希求の運動も精彩を欠くものとなった。
新たな問い
このように、アラブ世界を横断的に結ぶ権威主義体制への異議申し立ての動きは、それぞれの国情に由来する個別のベクトルによって遮断され、ドミノ効果は限定的なものにとどまっている。しかし「アラブの春」は、冷戦末期からポスト冷戦初期(1980年代~90年代)において世界各地で経済的開放・成長や技術突破・進展に支えられた民主化要求運動の高まりのなかで、権威主義支配が次々に崩壊していった時代から遅れること四半世紀を経て、中東アラブ世界も漸くそうしたグローバルな流れに追いつきつつあることを物語る。中東になぜ内発的な自由化や民主化の胎動が見られないのかという問いを中心に展開してきたこれまでの中東の政治研究は、今後はなぜこれだけ遅れたのか、なぜこの時点でそうした契機が前景化することになったのかという問いを立てることになるであろう。








