「アラブの春」再考(2)

2013年01月22日

国際協力研究科 池田明史

アラブ世界のイスラーム的心性池田先生.jpgのサムネール画像
「なぜ、今なのか?」という前回の問いは、「なぜ、四半世紀前の東欧・中南米・東南アジアなどの民主化と連動しなかったのか?」という問いでもある。そこには、中東のアラブ世界に根付く「イスラームの館(ダール・アル・イスラーム)」の心性が強く作動しているように思われる。かつて冷戦構造の崩壊時には、他の地域では「世界新秩序(ワールド・ニュー・オーダー)」への期待が溢れかえり、陣営の東西を問わず強権支配を続ける権威主義体制の正統性が突き崩されて自由化・民主化のうねりにつながっていった。しかし中東のイスラーム世界においては、例えばその結果として実現した西側主導のヨーロッパの統合という事態が、強力な「キリスト教圏(クリスチャンダム)」という古くて新しい脅威の出現とも見えたのである。東欧やロシアにける旧体制の崩壊に、それまで共産党イデオロギーの下で押さえつけられていた各派のキリスト教会が大きな役割を果たしたことが、そうしたイメージをことさらに拡幅した。
政治体制が東西のいずれに属するにせよ、中東の一般民衆はその大多数がムスリムである。そして、彼らが帰属する国家は、冷戦の親分=子分(パトロン=クライエント)関係にあってはどこまでも子分でしかない。彼らにとって冷戦構造は、自ら属する国家社会が東西それぞれの陣営に一定の位置を占めるという意味で安定的な政治上の帰属感を提供していた。冷戦崩壊は、東側には文字通り陣営の消失を、西側には(東側への対抗陣営に属するという)その存在意義の喪失をもたらした。そうした中で、あろうことか親分同士がくっついて米欧露のキリスト教神聖同盟が構築されつつあると観念されれば、イスラーム世界としての自意識がネガティヴな方向に刺激されて、中東には政治的な疎外感・閉塞感が蔓延することになる。結果として、冷戦的束縛からの解放や権威主義支配への批判よりはムスリムとしての防御的な心理規制が働いて、いわば旧来の体制へ引き籠って外の変化に目を瞑る状態に陥ったのである。1990年/91年の湾岸危機・戦争や2001年の9.11事件に対して、サダム・フセインやオサマ・ビンラディンをある種英雄視する感覚が中東アラブ世界で必ずしも珍しくない事実は、こうした背景の下に理解される必要があろう。
 
指導者なき革命
1980年代末~90年代の民主化「第三の波」が、冷戦の終焉に伴って喧伝された西側の政治的勝利がもたらしたものであり、中東アラブ世界はこれに固有の事情から「乗り遅れた」のに対して、「アラブの春」は西側の価値観である自由主義的市場経済の論理が波及し前景化したことの帰結だと考えることができる。しかもそれは、中東世界の政治史にあっては数十年に一度、場合によって一世紀に一度あるかないかの大変動と位置づけられつつある。1950年代から60年代にかけてのアラブ民族主義昂揚期、各地で反帝国主義を掲げた革命やクーデターが繰り広げられた時代以来の構造的な変革だとする見方のほか、むしろ20世紀初頭から戦間期にかけての中東諸国体制の創出に匹敵するとする立場、あるいはさらに遡って欧州列強の膨張圧力に抗して出来した「アラブの覚醒」の再来ではないかと考える文明論的な見解など、この現象の歴史的解釈をめぐっては議論百出の状況にあり、一定の共通理解に達するにはなお数年を要するであろう。
しかし、どのような解釈を採るにせよ、「アラブの春」の大きな特徴は、それがどの国においても象徴的な指導理念やカリスマ性を備えた指導者を欠いた形で展開したという点は認めざるを得ないであろう。従来の革命運動が社会主義や民族主義、あるいはイスラーム主義といった、それなりに明確なイデオロギーの下に、ナセルやホメイニなど求心力の強い指導者に牽引されて波及していった経緯とはまことに対照的である。同時に、そのような特徴そのものにこの現象の政治的波及の限界を見ることも可能であろう。フェイスブック革命と形容されることもある「アラブの春」は、その匿名性や没価値性がいわばアクセルとブレーキとの両面の機能を作動させているように見える。
 
権力による統制と権力に対する監視との狭間
このことが、チュニジアやエジプトにおいて、革命後の移行期の中からイスラーム主義政権が登場してきた理由を説明する。両国において革命を起動させ、独裁者を放逐した主体、少なくともその中核部分はSNSを手にした未組織の世俗的若年層であった。彼らの街頭行動に触発された格好で、大衆蜂起の状況が生まれ、旧体制が打倒されたのである。しかしながら、新たな秩序を構築する局面になれば、組織化された政治基盤を持ち、具体的な政策プログラムを提示できる既存の政治勢力が俄然優位に立つことになる。そうした政治勢力の中で、旧体制下において弾圧・疎外され、旧体制に組み込まれていなかったという不在証明を掲げることのできたイスラーム政党のアンナハダ(チュニジア)やムスリム同胞団(エジプト)が、いわば革命の果実をハイジャックしたという結果になったのである。
そうだとすれば、無血革命を達成したこれら両国であれ、流血の内戦を惹き起したリビアやシリアであれ、あるいはイエメンその他未だ混乱から脱していない諸国であっても、さらにはこれまでそれぞれの事情で大きな混乱を免れている諸国においてさえ、そこに通奏低音のように内在している問題は共通しているように思われる。すなわちそれは、独裁支配に異議を申し立てて自由・人権・民主主義の実現を要求した未組織の世俗的若年層に対して、旧体制打倒後の実権を掌握した旧来の政治勢力や、あるいは転覆を免れている旧来の体制それ自体が、どのように応答するのかという問いにほかならない。新たに台頭して政権を打倒しあるいは動揺させた彼ら若年層は、これまでのように一方的に権力による統制の対象となることを潔しとせず、逆に権力に対する監視を強めるであろう。未組織であるために権力に自ら参加する手段や方途を欠いているにせよ、権力を破壊することについて彼らは一定の自信をつけている。未組織であるだけに、そうした彼らを捕捉し無力化することは著しく困難である。
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