●寄宿舎舎監であった加茂令子と 撮影年不詳(1930年代と推定)
前列左から2人目:加茂玲子、右端:花子
●同窓会役員 1933年
前列左から4人目:大江スミ(会長)、その右隣:塩原千代(副会長)
後列右:花子
●創立70周年
母の会役員と正面玄関にて 1954年
最前列に:鵜沼幸、吉本てう、花子
●同窓会にて 撮影年不詳
後列左:花子
卒業後、一時連絡が途絶えたことなどもありましたが、
柳原燁子や片山廣子との交友は生涯にわたって続きました。
柳原燁子、片山廣子との直筆の書簡
①母親として
娘みどりが高等部を1951年に卒業しています。
②短期大学保育科 非常勤講師
1954年ごろから亡くなるまでずっと、
児童文学および言語指導を担当しました。
授業を受けた同窓生に印象を聞きました。
「いつも和服でいらした。」
「皆、語られるお話しに引き込まれた。
ノートを取ることも忘れるほどだった。」
(絵本を書いていた方)
「先生がお宅に呼んでくださり、アドバイスをくださった。」
「いろいろ、お薦めの本を教えていただいた。」
など...
③戦後すぐから、亡くなる年の1月まで、学院の理事・評議員を務め、学院全体の重要な会議にも出席しました。
花子が非常勤講師をしていた頃の短期大学の校舎
