2026年度前期入学式式辞

2026年4月4日(土)に前期入学式を行いました。

 藁谷学長の式辞です。

 新入生の皆さん、入学おめでとう御座います。


 ここ六本木校地は、一般にイメージする「六本木」とは異なるかもしれません。大使館が並び、道を挟んで斜め前にはかつて三菱岩崎家の所有であった地に国際文化会館が建ち、一方には鳥居坂教会が建つ閑静な地域です。時代を明治以降と区切ってみたときでも、日本の骨格を作り、それを担ってきた人たちが、静かに考えを巡らしダイナミズムを生んだ地です。また、宣教師のミス・カートメルや東洋英和学院創設にあたり尽力下さった方たちが「敬神奉仕」のもと集う、海外への、海外からの開かれた窓口でした。その意味では、グローバルな窓であり歴史的文教地区と言っても良いかもしれません。この地区では今、再開発が計画されその準備が進められています。あらたな都市のエネルギーがほとばしることでしょう。

 この地に深く根をおろし、高度専門家を養成すべく、社会人に開かれた意欲あふれた男女の学びの場が、私たち東洋英和女学院大学大学院です。欧米と比べた時に、日本の人文科学系・社会科学系大学院においては現場とのやり取りが充分でない、そうした指摘が長年繰り返されてきました。私たちは、その課題に正面から向かい合ってきました。学識はもちろん現場の経験を大切にし、現場からの要請に応えることができる高度専門家の育成を目指して、歴史を重ねてきました。社会人の皆さんは、是非ご自身の経験と知見の上に大学院での学びを活かして下さい。
個性あふれる成果は、個性あふれる高度専門家の誕生を意味することになるでしょう。この教育・研究の有り様は、研究者養成にもストレートマスターとして進学した院生にも大切な視点を提供してくれます。私たちは、研究者を目指す社会人やストレートマスターにも大きく門戸を開いてきました。

 グローバル化が進展した現場では、専門的見識と経験が当然のように求められます。世界では、修士号取得とそれに対応した資格の取得は当たり前になっております。それに対し、日本に於ける大学院の位置づけはまだ十分でなく、残念な状況です。国際機関で、学士しか有しない日本人が不当に低く扱われていることが、かなり前から指摘されてきました。

 私たちが目指すのは、当たり前のグローバルスタンダードは勿論、それを超えたスタンダード、東洋英和スタンダードを打ち立てることです。皆さんと一緒に、我が国の壁に風穴をあけ、見晴らしの良い地平線を拓きたい、そうした強い思いをもっています。かつて日本の自立性を打ち立てるのに、学び、考えをめぐらし、その実現を支えたこの地から、是非とも皆さんと共に確かな歩みを進めたい、そう考えています。

 今日を迎えるにあたって、私の頭に浮かんだのは、私の院生時代です。院の入学式で研究科長は、「とにかく勉強に勉強、講義以外の時間は図書館にこもりなさい」とおっしゃいました。研究科長は、社会政策の大家で、中央労働委員会(中労委)の会長でした。実務家であるから、机に向かう時間は限られてきただろうと勝手に決め込んでいた私には驚きの言葉でした。研究の深さを知らなかった私には大きな衝撃でした。
留学先のボン大学では、私の指導教授のもとで、ドイツ銀行頭取ヘルハウゼン(当時)が、学部学生も参加するゼミを行なっていました。本社の専門家が授業を担当しましたが、最終回にはヘルハウゼン自身がやってきました。講義終了後の質疑応答に30分程時間が経った時でしたか、ヘルハウゼンの怒声が響きました。「Come On、私はお前たちの質問を受けにきているのに、質問はこれだけか」と文字通り鬼の形相。実務世界の厳しさのほんの片隅に触れた気がしました。それから1年経った頃でしょ
うか、彼が過激派の手によって倒れたことが報じられたのは。開発途上国が抱える債務問題について、議長として国際会議を差配した、その事に対する不満が理由として取り沙汰されました。

 時代が変わり、大学院をめぐる環境は当時とは大いに異なっています。ただ、実力ある高度専門家になるためには、それを目指す強い意志が
求められます。少し大袈裟かもしれませんが、ある種の覚悟が求められるのかもしれません。私たちの建学来の精神「敬神奉仕」の精神のもと、大切なことは、夢を抱き、明るく、一歩一歩確実に歩みを進めることです。私たち教員も、皆さんの傍で共に試行錯誤し、一緒に歩を進めたいと思います。

 みなさん、入学おめでとう御座います。

                                2026年4月4日

                          東洋英和女学院大学大学院

                              学長 藁谷 友紀


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