2015年度 学位授与式 式辞
博士号・修士号の学位を授与されて、本日ここに晴れて大学院の課程を修了されるみなさん、おめでとうございます。仕事と学問とを両立させてきたみなさんのこれまでのご努力に対し、そしてその努力を支え続けたご家族の方々のサポートに対しまして、心からの敬意を表したいと思います。また御来賓の皆様には、ご多忙のなかをご参列いただき、まことに有難うございます。
さて、みなさんの多くは社会人として昼間は仕事に精勤し、その疲れを抱えたままこの夜間大学院に通われて学問の研鑽に励まれました。博士号を授与された方はもとより、修士を終えられた方々の中にも、長期履修プログラムを活用されて、3年以上をかけて学位を取得なさった人もおいでになります。ですが、通常2年のカリキュラムを終えて、修士論文を完成された方々が大多数であろうかと拝察しますので、2年前の4月、そのみなさんが入学されたときに私がお話しした内容を、もう一度ここで、簡単に振り返ってみたいと思います。
その入学式の式辞で私は、夏目漱石の「草枕」という小説から次のような有名なセリフを引用して、一般社会と学問研究の世界との間の軋轢を指摘いたしました。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。世間はともすれば理不尽で、筋の通らないことが多いけれども、そのような理不尽や矛盾を莞爾として受け容れるのが立派な大人であり、成熟した社会人であるとみなされている、それが一般社会なのですね。
一方で、学問研究の世界では、智に働いて、たとえ角がたっても指導教員や院生仲間と論争する覚悟がなければ、自立した研究などできません。家族や友人、職場仲間との関係、つまり愛情や友情に棹をさしてでも自分の時間を捻り出さなければ、授業は受けられなかったはずです。そして、徹底的に考えて自分の意地を通さなければ、学位論文を仕上げることは叶わなかったのではないでしょうか。
こうした学問の世界、研究の世界は、明らかに一般の社会とはズレていますし、またズレていなければならないと申し上げたように覚えております。世間の人々が雪崩を打って一方の方向に傾こうとするときに、「ちょっと待った」と言ってこれに異を唱える。そのような異化効果、alienation effect こそが、学者や研究者の社会的な存在意義の重要な一部だと信じているからであります。
みなさんはいま、そうした研究者としての訓練を受けたうえで、再び世間の荒波に漕ぎ出そうとされています。そのみなさんに革めて餞の言葉を贈りたいと思います。それは、「複雑さに堪える」ということです。その意味はもとより、自分の議論や学説を社会に流通させるために、世間の常識に沿った論理で一般の人々を説得するという操作上の複雑さに堪えるということを含みます。しかしおそらくそれ以上に、私どもが直面している現実の複雑さにたじろがず、これと真正面から向き合う勇気を持つということを指し示しています。
あるシステムから何らかの要素を取り除く、あるいは何らかの要素を付け足す。するとシステムはどう変化するか。私自身の専門領域に引き付けてお話しすると、こういうことになるでしょう。中東という固有の政治システムから独裁支配という要素を取り除こうとした、あるいは民主主義という要素を付け足そうとした、そのような試みの結果、私どもはほとんど収拾のつかない混乱に陥っているということになります。これは典型的な「複雑系」の問題にほかなりません。システムが変われば、システムの境界条件もルールも変わってしまうため、もはや元に戻すのは不可能になってしまっているのです。にも拘らず私どもは、この現実から目を背けるわけにはいきません。解があろうがなかろうが、この現実を真っ向から見据える以外にはない。そこからしか、前に進むことはできないのであります。みなさんが漕ぎ出していかれる先には、それぞれの領域においてこうした複雑さが待ち受けているはずです。どうか、それに堪えて、前に進んで行っていただきたいと切に望みます。
本学では学位記とともに修了生お一人おひとりに黄色いスイセンの花をお贈りすることにしております。これは東洋英和女学院の慣行であり、その起源は戦前にまで遡ります。学院所縁の地であるカナダでは、黄色い水仙は主であるキリストの受難と復活を記念するこの時期に一面に咲き誇るところから、レントリリー(「受難節の百合」)とも呼ばれる花です。復活のキリストを仰ぎ、その光の中を一歩一歩着実に、雄々しく歩んで行ってください。この花の一輪一輪に込められた「敬神奉仕」という英和のスクールモットーを、どうか忘れないでください。それこそが、世に氾濫する複雑さに堪えながら懸命に前へ進もうとするみなさんの拠りどころとなってくれるに違いありません。このことを確信しつつ、私の式辞を締め括ります。
2016年3月19日 東洋英和女学院大学 学長 池田明史








