東洋英和女学院卒業部⾨
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職種
中学部 中高部 専⾨系 小学部 幼稚園 幼稚園(東洋英和幼稚園) 教育・保育系 高等部倉田 敬子
東洋英和幼稚園から英和で過ごし、1977年高等部卒。慶應義塾大学法学部政治学科に入学。文学部に学士入学して図書館情報学を学び、同大学大学院文学研究科図書館・情報学専攻博士課程単位取得退学。文学部助手、助教授を経て、2001年に教授に就任。2021年より2023年まで文学部長。2024年より名誉教授。同年4月、国立国会図書館長に就任。
「女性初」がつきまとう役職にも、気負わずしなやかに
政治思想から図書館情報学研究へ
窓から見えるのは、学部生時代に通い詰めた図書館の建物
慶應義塾大学で、最終的には文学部長を務めた私ですけれど、実は受験した時は文学部にはご縁がなかったんです。東洋英和の小学部の時から図書委員で、本は大好きでしたが、文学作品の研究をしたい訳ではなくて。女子は文学部に進むのが一般的、しかも英文科に進む人が圧倒的に多かった時代でしたが、文学よりも社会科学的なことを学べたら面白いのではないかと考えて、法学部政治学科に入学しました。
当時は50人のクラスで女子は5人。現代政治学だけでなく政治思想や歴史、社会学など幅広く学べる学科でしたが、政治思想のゼミを選んだら、私が初めての女子学生でした。膨大な量の専門書を読んでレポートを提出しなければならず、スパルタ的に鍛えられましたね。
勉強は面白かったけれど、この分野で研究者になるのは無理だと思って就職も考えましたが、男女雇用機会均等法が施行される前は、四大卒の女子の就職先は非常に限られていました。ただ、慶應義塾大学では図書館のみ、本学の図書館・情報学科の卒業生に限り男女の差別なく採用していることを知り、文学部の図書館・情報学科3年に学士入学しました。恩師の薦めで、翌年すぐに大学院を受けて修士課程に進学。修士を終えた時点では、図書館情報学の研究者としてやっていきたいと思えるようになり、博士課程に進みました。
私自身の専門は「学術コミュニケーション」という分野です。簡単にいえば、研究者たちがどのように情報を扱うかを研究する領域です。研究課題を設定して情報を収集し、得られた成果を公表することで、また次の研究に生かされるサイクルは、研究活動にとって必須です。日本ではあまり研究されていない新しい分野でしたが、私にとって生涯追究する研究テーマとなりました。
赤い服で会議に出席したら “派手な女子教員”と噂に
当時、慶應の文学部は女子学生が6割弱でしたが、博士課程に進む女子は少なく、大学教員としての採用においては男女の差が大きかったです。私の場合は恩師の定年退職なども重なり、助手(現在の助教)として就職することが叶いました。図書館・情報学専攻では私が初めての女性教員です。そもそも、文学部にいる約150人の教員のうち、女性教員は5人だけ。そんな環境でも、私を指導してくださった先生方には性差による偏見は皆無だったし、それまで積み重ねてきた業績と研究の方向性を評価してもらえたことはとても嬉しかったです。
教員として勤めるようになると、やはりそれなりに風当たりはありましたし、「女性がいないから」という理由で、1年目から文学部全体のプロジェクトの委員に指名されたりもしました。そうそう、こんな面白いエピソードも。私は学部会議などにも、特に気にせずに赤や黄色の服で出席していたんですが、陰では「派手な教員を採ったんだね」と噂になっていたようです(笑)。男性教員は、全員がダークな服装ですからね。差別というよりは、異分子が入ってきたことへの物珍しさだったと思いますが。
授業の準備に毎週の会議の議事録作成、カリキュラム変更に関わる業務などでとにかく忙しく、最初の5、6年は本当に厳しかったです。博士号取得のための準備を固めるべき30代前半に、自分の研究が疎かになったことで、研究の方向性もわからなくなっていました。
そのタイミングで英国に留学。2年間、ランカスター大学で学術コミュニケーション分野の先生の指導を受けました。それが転機になり、自分の研究の柱ができたのです。ただし、国内の学会ではあまり理解されず、研究発表の場は海外の学会へと移っていきました。
自分がロールモデルになることに意味がある
帰国後は、助教授(現在の准教授)時代に文学部学習指導主任を拝命。三田キャンパスの学生の履修や進級、卒業に関わるすべてを管轄する役職を4年間務め、貴重な経験をしました。その後文学部内の委員も務めると同時に、大学全体の委員会で他学部の先生とも仕事ができました。最終的に大学院文学研究科委員長を2年、文学部長を2年務めることになりました。文学部17専攻、文学研究科13専攻の中心は哲学・歴史・文学でしたから、図書館・情報学専攻から選ばれたことも初めてで、お世話になった先生方がそのことを喜んでくださったのはうれしかったです。
2021年8月に文学部の学部長に就任しました。文学部では初の女性学部長ですし、三田キャンパス4学部の長い歴史の中でもまだ2人目です。文学部を背負う立場になり、コロナ禍とその後の対応も含め、やはり激務と言わざるをえない生活でした。一教員だったときには知り得ない景色を見ることはできましたが、自分の研究はできなくなり、教育も最低限でしたね。
今の私には“厳しくて頑固な人”という評判が立っており、怖くて近づけない存在になっているみたいです(笑)。でも、英和の同級生たちは知ってるけど、本来の私はおっとりしていて、話し好きなのです。誰とでも、親しみを持って話したいのですが、自分が関わる事柄については「こうあるべき」という姿勢を明確にしてきたせいかと思います。
もちろん、男女は平等であるべきだと思っていますが、根幹としては「女性差別はおかしい!」としかめ面で主張するのではなく、「それっておかしくありませんか?」と問いかけて、相手の人が自分から感じて、考えてくれる形が望ましいと思っています。私が行動することによって、それを感じてほしい。学部長に決まったときも、断るという選択肢はありませんでした。私がロールモデルとなり、女性の学部長という事例ができたことに意味があると思ったからです。
英和では、生きる上での根本となるものを教わった
英和では、人として生きていくために大切なものを身につけさせてもらったと思っています。「敬神奉仕」という言葉だけを見たら、今の若い人たちには価値観として通じないと私も思うけれど、英和が基本として持っている考え方とか教育方針は、人間として社会の中で活動していく際に必要な心がけです。それは“英語ができる”といった明示的なスキルではなく、もっと根本的な、人を思いやる精神や想像力だと思うのです。それらは、大学の学部生の教育においても、実はいちばん重要なことです。
個人的には、大学以降は男女共学が望ましいと考えていますが、高校までは女子だけの教育があってもいいのではないかと思っています。英和時代のことを思い返しても、すべてを女子だけでやらなければいけない環境下では、生徒会長や部活の部長など、リーダーとして女子がトップに立つのが当たり前でした。性別とは関係なく、それぞれの生徒が得意な分野で活躍できます。“女子だから書記が向いている”とか“女子だから理系はニガテ”などという役割分担や思い込み、偏見は存在しません。
本来は、男女共学の中でもそういうニュートラルな感覚を身につけられたほうがいいのですが、現在の日本の社会では、小さい時からジェンダーギャップ(男女の性差によって生じる格差)が根強い環境で育つことになり、それを考えると、高校時代までの期間を女子だけで過ごせるのは悪くないと思っています。
少なくとも、東洋英和が女子校だったことは、私にはよかったし、そういう学校が向いている生徒は絶対にいると思うので、ぜひこのままであってほしい。中には共学のほうが合っている中高生もいるとは思うけれど、社会に出る前の準備段階として、女子だけの環境で学ぶことは、人間として基本的なことを身につける場として重要だと考えています。
国立国会図書館長への打診はある日突然に!
学部長の任期を終えて定年退職したら、今度こそ自分の研究に取り組む時間ができるかなと思っていました。ところが、2024年3月中旬に突然の連絡で「国立国会図書館の館長を引き受けてもらえませんか」と。まさしく青天の霹靂(へきれき)でした。
女性の館長はすでに経験者がひとりいらっしゃいますが、図書館情報学分野の研究者が館長になった例はありません。不安はありましたが、こんなチャンスは滅多にないし、私が断ったら後進の人たちの道を閉ざすことになると思って引き受けることを決意し、4月1日に就任しました。
国立国会図書館は、国内で唯一の“国立図書館”であると同時に、“国会図書館”なので、通常の図書館としての事業や活動の最終決定をするだけではなく、国会で議員の方からの質問に答えることも業務のひとつです。
2025年度からは、当館の中長期計画にあたる「次期ビジョン」を本格的に検討することになります。紙の出版物だけでなく、形のないデジタル出版物などの多様な情報をどのように収集・保存していくのか。そこで構築されるトータルな“知の基盤”をできるだけ多くの人が利用可能なものにすることで、より豊かな社会の形成に貢献していくことが課題となります。さらに、私が研究してきた学術コミュニケーションと国立国会図書館との関係性を、私なりに考えてみたいという大きな目標もあります。
(2023年3月談、2025年4月メール回答)
※記事中の所属・役職等は各記事掲載当時のものです。
