東洋英和女学院卒業部⾨
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職種
クリエイティブ・芸術系 中学部 中高部 高等部村岡 恵理
1986年高等部卒業。成城大学文芸学部卒業。『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子を祖母に持つ。著書に、NHK連続テレビ小説『花子とアン』の原案となった『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)など多数。 1991年から2014年まで、姉の村岡美枝氏と共に「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」を主宰していた。
人の気持ちがわかる“共感力”の高さ
祖母・村岡花子の英和時代
祖母・村岡花子さん(左)、村岡恵理さん(前)
祖母である村岡花子は私が1歳になる前に亡くなったので、直接言葉を交わした記憶はないのですが、書斎のたくさんの本や友だちとやり取りした手紙など、祖母の気配は家のなかに溢れていました。古い家の書斎には祖母の所蔵していた本がいっぱいあって、カビ臭い原稿用紙も山ほど残っていて。
そもそも、『赤毛のアン』という小説のタイトルは聞いたことがあっても、その翻訳者である「村岡花子」という人のことを、世の中の人は知らなかったと思います。
在学中には気づかない英和での学び
英和に在学していた当時の私も、祖母の母校だということはまったく意識していなかったし、英和という学校の歴史にも興味がありませんでした。若いときって、そんなものですよね。当時は「本のない家に住んでみたい」などと思ったものです。同級生には著名なアーティストのお嬢さんもいて、おしゃれでカッコいいご家族の雰囲気に憧れていました。
それなのに、縁あって私も、ものを書くようになりました。そして、「何か残るものを書きたい」と考え始めたときに、祖母のことをちゃんと知りたいと思い、初めて英和の歴史を調べ始めたのです。そうして、もし祖母が英和で学んでいなかったら、その後のご縁に導かれることもなく、『赤毛のアン』の翻訳を手がけることもなかったと知りました。私はあらためて『赤毛のアン』を読み返し、同時に聖書を読むようにもなりました。
英和時代には、祖母はキリスト教に反発したし、恵まれた環境で育った屈託のない同級生とは、何か違ったものを胸に秘めていたと思います。祖母や白蓮さん(柳原燁子)のように、在学中は自分たちを異分子だと感じていた人ほど、実は英和が必要だったから呼ばれたように思われて仕方ないのです。何か大きな、優しい力に包まれていたこと、だからこそ育まれた心の豊かさや人を想う気持ちというものに、祖母自身もきっとあとで気づいたと思うのです。
相手の立場を想像して考える力
高2の村岡恵理さん(左)
在学中は、どうしてもまわりと自分を比べたりして、誰もが「自分はちょっと英和になじめないな」と思っているんじゃないでしょうか。実は、私自身も父の仕事の関係で途中から編入したため、はじめのうちは祖母と同じように、違和感を抱くことがありました。
それなのに、卒業して何年も経った今、英和時代の友だちに共通する “想像力”というか、“共感力”の豊かさにホッとする自分がいます。「自分だけが幸せになりたい」「自分の夢が叶えばまわりはどうでもいい」とは思わず、ほかの人の気持ちになって考えることができる。その共感力はどこからくるのかと考えてみると、“あなたの隣人を愛しなさい”という聖書の言葉が思い出されます。当時は、その意味もよくわからなかったけれど、「自分には関係ないから」と切り捨てず、その人の立場を想像して考えてみる力は、英和での学校生活のなかで身についたもののような気がします。
これも“敬神奉仕”の教えなのかな。誰かに「ありがとう」と言ってもらえることは、何ものにも代えがたい喜びだと思います。クリスマスだって、何も知らなければ年末恒例の楽しいイベントですけれど、英和で過ごしたことで、クリスマスを祝うことができない状況にある人たちのことを思えるようになりました。
定期試験の朝でも毎日礼拝があって、お祈りの言葉もすっかりルーティンになっていたけれど、信仰とか大げさな形式的なことでなくて、礼拝の音楽に包まれていた毎日は、今思い出してもとても素敵でした。日常の言葉とは違う聖書の言葉に耳を傾けて、それを口にすることも心地よかったし、人間を超えた何か厳かな目線の存在を知り、畏れることは、生きていく上でとても大切なのではないかと思います。私は敬虔なクリスチャンではありませんが、誰かを支える力になったり、置かれた状況を受け入れたりすることができる人でありたいと思います。
まさに母のような場所である、私たちの母校
最後に──英和に在学中の生徒さんたちも、自分の未来に向かって自由に生きればいいいし、友だちとぶつかり合ってもいいと思います。今は自覚できないと思うけれど、毎朝聴いている礼拝のオルガンや聖書の言葉、講堂の陰影などは心の芯に残っていくはず。いつかきっと、その場所を懐かしく思い出す日が来ます。めまぐるしく移り変わる時代を経て、この大都会のなかで、ゆるがずに“敬神奉仕”の精神を貫いてきた英和の在り方は頼もしい。まさに“母校”という言葉通り、どんな状況でも私たちを受け入れてくれる、母のような場所だと思います。(2022年7月、談)
※記事中の所属・役職等は各記事掲載当時のものです。
