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社会保障論
国際社会福祉論

担当:岡伸一


<社会保障論>


単位数
4
配当年次
3年以上
開講期間
通年
曜日・時限
木曜3時限

<社会保障論>

単位数
2
配当年次
3年以上
開講期間
半期
曜日・時限
木曜2時限


T.講義の趣旨

 共生プロジェクトとの連携授業だからといって特別な講義を予定しているものではありません。これまでの授業の踏襲です。私の担当する社会保障論、国際福祉論、国際社会保障論はそれぞれもとから『共生社会』を論じるものだったと言った方が良いでしょう。講義は非常に細かなテクニカルなところに入っていきますが、本来のテーマはこの「共生」であり、いかに社会的弱者と共生するかというものです。社会保障制度の背後にある精神、価値観まで読みとってもらいたいと思います。

1.社会保障と社会福祉の概念

 「社会保障」と「社会福祉」という言葉は、一般的にかなり混乱して使用されていると思われる。私の理解では、「社会保障」はより広い概念であり、その一部が「社会福祉」と言える。「社会福祉」は、老人福祉や児童福祉、障害者福祉、地域福祉等から成り立っているが、対象が特定の社会的弱者に限定されていると思われる。他方、「社会保障」は予算規模から言えば、医療や年金等の社会保険を中心に据えるが、公的扶助や各種社会福祉の他、公衆衛生、安全対策等も含んだ概念である。

 社会保障制度を有する福祉国家とは、言ってみれば「共生」の社会となる。社会保障とは、経済的には所得の再分配であり、富める者から貧しい者への所得の移転を意味する。ここで所得の再分配とは、現在だけではなく将来も含む。年金で言えば、現役労働者から引退した老人への所得の移転を意味する。つまり、単なる富める者と貧しい者との関係ではなく、親と子、子と孫等、世代間の関係を意味する場合もある。このこと自体が「共生」を意味するとも考えられる。

2.「共生」と「連帯」

 実は、社会保障では「共生」という言葉よりも「連帯」という言葉をよく使用する。欧州でも社会保障論のテキストの最初のページに、社会保障とは市民の間の「連帯」に基づく概念であると説明されている。社会保障において、「連帯」とは通常、福祉的な制度を意味する。日本で言えば生活保護のような貧困者の救済策のような無拠出の公的扶助制度のようなものを「連帯」制度と呼ぶ。

 日本人は保険好きであり、社会保障においても保険原則が国民の絶大な支持を得ている。国民の間では、社会保障制度も損得勘定の対象となっている。どうしたら年金が多くもらえるか、といった議論ばかりが巷に溢れている。ところが、その結果、大量失業時代に失業給付が削減される事態となっている。まさに、保険原則の帰結である。多く負担した人が多くもらう、これが日本人的な平等概念であろう。他方、連帯原則に従うならば、負担は能力に応じ負担できる人が負担し、受給は必要性の高い人が優先するということになる。いろいろな立場の人々が共に生きていくためにはこの「連帯」の原則が必要不可欠となる。

3.担当講義における「共生」の意味

 さて、今年度の私の担当科目は、社会保障論(通年)、国際社会福祉論(前期)、国際社会保障論(後期)の三つがある。夫々が異なる次元での「共生」を具現している。

【社会保障論】木曜日3限(通年) 社会保障は国内法に基づいて規定されるものであり、一国内完結の共生となる。国民の間で社会的リスクに対応した所得再分配が展開されている。「社会的弱者」を国民全体で救済し、保護していくものであり、「共生」そのものと言える。

【国際社会福祉論】木曜日2限(前期) 国際社会福祉とは、いろんな手段があるが、先進国から後進国への一方的な経済的な援助を意味するものであり、各国の国内の社会福祉とは切り離された領域となろう。ODAやNGO、NPO、いずれも最終的には先進諸国の富が発展途上国に移転されるものである。地球規模での「共生」と言えよう。

4.共生に関する講義

 以上のような講義を前提に共生に関する1回の講義では、総括的な話をしたいと思います。社会保障論は、言ってみれば国内の制度を前提とするものであり、国内の共生となります。他方、国際社会福祉論は先進諸国から発展途上国への援助を意味し、国家間の共生と言えます。そこで、今年度の講義は両者を繋げる試みについて述べたいと思います。つまり、同国人の間での共生から、いかに、地球規模での共生にもっていけるか、という壮大なテーマです。

 政治学の先生はどうも紛争が好きみたいですが、私の専門である社会保障は北欧のような平和で民主的な国の産物です。見かえりを求めない、取引をしない、人道主義的な国際支援を続けることこそ国際平和(共生)への道ではないかと考えます。自分の兄弟たちを救ってくれた人達を殺す人はいないと信じます。