核との共生か、核なき共生か




  講 師  豊田利幸氏
  日 時  2000年12月4日(月)2限(10:30〜11:50) 
  場 所  東洋英和女学院大学 8103教室

 

 去る12月4日、本学に豊田利幸名古屋大学名誉教授をお招きし、講演会を開催しました。

 この講演会は、連携授業の試みの一環として、「核時代における『共生』」をともに考えていくという目的で、この試みに参加している「国際関係論」、「ミクロ経済学」、「地域研究T(中東の社会と文化)」(池田担当)の合同授業という形で開催されました。

 豊田先生は原子核素粒子論をご専門とされる核物理学者ですが、1955年の「ラッセル=アインシュタイン宣言」に端を発する、世界的な科学者会議である「パグウォッシュ会議」に早期から参加し、世界を代表する科学者や軍縮問題の専門家とともに核兵器の危険性を訴えつづけてこられた方でもあります。講演会では、その経験談を随所におりまぜながら、本学の学生には馴染みの薄い、核というものの科学的・技術的な側面に至るまで、幅の広い、そして奥の深いお話をして頂きました。教授職を退かれた後にも『軍縮問題資料』誌などで盛んな執筆活動を継続されていることにも示されているように、そのお話は以前と変わらない厳しい批判精神を感じさせるものでもありました。

 講演会には、上記の授業を履修している学生以外にも多数の本学学生が出席したほか、学外からも多数の方々にお出で頂きました。質疑応答の時間は、残念ながらわずかしかとることができませんでしたが、市民レベルで反核運動に取り組まれているという学外の方から質問が出されるなど、盛況のうちに幕をとじることができました。この講演会を企画した一人として、このような有意義な時間を幅広い方々と共有できたことを大変嬉しく思っています。

さて、講演の内容はおおむね下記にまとめる通りですが、ここでさらに簡潔に述べるとすれば、豊田先生は一貫して「核との『共生』」は不可能だということを論じられていたと言えるでしょう。また、参加者からの質問にお答えする形で、そもそも「核との『共生』」という表現が不適切であるということについても、ご指摘を受けました。こうした点は、「共生」という概念の広がりを考える上でも大変有意義なものであったと考えています。

講演要旨  → (参考)講演会レジュメ
 まず、アルバ・ミュルダールとの出会いについて。ミュルダールは、ジュネーヴ国連軍縮専門家会議の議長などをつとめたスウェーデンの外交官で、1960年代から米ソの「軍備管理」(arms control)交渉に対して痛烈な批判を展開していた勇気ある女性であった。ミュルダールも指摘したように、そもそもこの「軍備管理」という発想自体に問題があったのだ。
 しかし「軍備管理」を批判し、「軍縮」(disarmament)の必要性を説いた、ミュルダールの著書『正気への道―軍備競争逆転の戦略』(豊田利幸・高榎尭訳、岩波書店、1978年[1976年]、全2巻)は、米国では全く書評に取り上げられず、またソ連では輸入禁止にされるという憂き目にあった。これは、事実上の核軍拡を「軍備管理」というコトバで体よく繕おうとしたのと同様に、政府がその政策を正当化するために情報操作を行ったこと、マスコミもその一端を担っていることの一例である。
 こうしたことは日本でも慣行化している。たとえば、同じ nuke (nuclear) であるのに、一方は「核兵器」と呼び、他方は「原子力発電」と呼ぶことが、大新聞紙上ですら罷り通っている。「核抑止」と一般的に訳される nuclear deterrence なども同様で、deterとは本来「威嚇」する、「脅かして、震え上がらせる」ということを意味する。
 このように本来的に共存などできるはずのない「核」との共存があたかも可能であるかのように、概念が意図的に歪曲されている。

 次に核エネルギーというものについて。物理学的には「生きる」ということは、化学反応、すなわち分子を構成する原子の結合と分離という連続作用である。その原子の中心をしめているのが原子核であり、この原子核は電子を寄せ付け、複数の陽子と中性子で構成されている。中性子は電気的に中性だが、陽子はプラスの電気を帯びているため、本来なら反発しあうことになるが、反発力よりも強力な力によって結びつけられているのである。ここに巨大なエネルギーが潜んでいるのであり、このエネルギーが核分裂の際に放出されるのである。核爆発も原子力発電もこのエネルギーを利用したものである。
 特にウランの原子核が核分裂時に放出するエネルギーは凄まじく、たとえば、1炭素原子と1酸素分子が化学反応を起こし、二酸化炭素をつくるときに放出されるエネルギーが4電子ボルトであるのに対し、1ウラン原子核が核分裂時に放出するエネルギーは2億電子ボルトと、桁違いに大きい。
 また、同じ元素でも化学的には何の違いもない、原子核に含まれる中性子の数で区別される同位元素というものがあるが、ウランの場合は、自然界により豊富に存在するウラン238よりもウラン235の方がはるかに核分裂反応を起こしやすいという特徴がある。戦時中の日本もこの頃原理が分かってきた核分裂反応に関心をもち、ウラン238からウラン235を抽出しようと試みた。日本がこれを完遂できなかったのは、それに必要な膨大な電力の供給がままならかったからであり、原理そのものは非常に簡単なものなのである。
 この原理そのものは簡単というところに、米国は危機感を抱いたのである。米国は商業的な利益のために原子力発電を他国にも勧めていくが、厳しい条件をつけることで、これを他国に対し統制を効かせる手段として利用した。多くの国々にその条件として飲ませた一つが、核不拡散条約(NPT)であった。

 最後に、核に関する科学的・技術的な側面の一つである放射線について。これについても、放射線量というものが正確に計測することが難しいということを逆手にとった世論操作が行われてきた。放射線というものは天然に当たり前に存在するものでもあるが、「天然の放射線量が多いから」という理由で人工の放射線を減らす努力をしないというのは、おかしな話である。

 核について真剣に取り組むには、世論を動かすことが必要である。その際にはコトバが重要な意味を持つ。しかしながら、前述してきたように、そのコトバが操作されて使われているのが現実なのである。
(文責:石川 卓)

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