講 師 ヒラリア ゴスマン氏 日 時 2000年12月14日(木)2限(10:30〜11:50 場 所 東洋英和女学院大学横浜校舎 5201教室 連携授業の一環としてドイツトリア大学のヒラリアゴスマン教授を招き、講演会を行なった。 1955年にドイツより来日していたご両親のもとに、ヒラリア先生は東京で生まれた。それから現在まで、先生は日本とドイツを往還する生活を続けてきた。二つの文化を往復し続けている先生の体験は、「特色ある教育」の今年度のテーマ「共生」を考える示唆になるのではないかと「文化人類学」(三尾担当)との合同授業という形で開催され、全学および学外にも開放された。 ヒラリア先生は、日本文学論とメディア論を専門にしている。現在、VW財団による「文学と映像メディアにおける異文化接触―日独比較」というプロジェクトの代表も務めている。「他者」との接触に関する人間の基本的なふるまいを、資料としてもあげられている5つの枠組みをもとに、主に小説を通して話された。 講演後の学生の感想は「豊富な知識だが、とても分かりやすかった」というのが多かった。異なった文化基盤を持つ者同士が出会った時の多様な反応に改めて気づかされた講演だったのではないかと思う。 講演要旨 日本で生まれた私が初めてドイツに行った幼い時、「帰る」のではなく「行く」と言い、ドイツに着いた時は「帰ろう、外人ばかり」と、ごねたといいます。その頃はまだ「自分の国」と「外国」とのが区別できなかったのですね。 外国に出かける人も増えて異文化に実際に触れる人々も増えています。「直接的に他の文化と交流すること」が大事ですが、世界各地すべてを旅行する事は不可能なので、どうしてもメディアのつくるイメージに頼りがちです。外国のイメージは主にメディアによって形成されていることが多い。外国のイメージを伝えるメディアの大きなものといえば、ニュース番組やドキュメンタリーです。 でもニュースは戦争や災害といったネガティブな印象を与えるものを取上げることが多くて、そこに暮らす人々の日常生活を伝える事は少ない。トリア大学でも、神戸の大震災や東海村での核燃料事故が報道された時には、親が日本を恐れて、日本学の学生数が減ってしまいました。 ニュースメディアはネガティブなイメージをつくってしまいがちですが、文学・映画といったフィクション性の強いメディアは、人間の内面世界を描く事ができます。それは主人公の身になって考える、あるいは感情移入することができるということで、違う世界に入る序となります。「他者」と一体化できる、フィクションを通して「他者」を考えることはとても重要だといえる。文学と映像メディアが「他者」に対するイメージ形成に重要な役割を果たしているのは言うまでもありません。文学と映像メディアにおける「他者」の描き方が、その社会の「外国人」に対する差別を助長したり、またはその差別の克服に貢献したりする可能性も持っているわけですから、「描き方」には注意が必要です。 様々な文化において、歴史的に「外国からの者」に対する基本的な接し方は「魅力」と「恐怖」という二つの極端に異なるパターンが目立つようです。このようなアンビバレントな態度は、世界中の大衆向けの映画にもよく反映されている。ドイツのメディア学者ファウルスティヒによると、ハリウッドなどの映画における「他者」に対する典型的な態度は「エクゾチシズム」、「救済」と「恐怖」の三つのパターンに分類されるといいます。 この理論を前提にして、文学作品や映像を分析するには、 1)異文化接触の描き方における特徴(相違点と類似点) 2)異文化間の理解を最大限深めるためにはどのような描き方が適当か 3)異文化接触において言語はどのような役割を果たしているのか 以上の三つの点に注目しながら比較考察を試みることが大事です。 それでは史料の5つの枠組み、「T外国での滞在」「U帰国後の問題」「V自分の国における異文化接触」「W二つの文化に根ざしている状態」「X多文化共存」に沿って「他者」との出会いの仕方を見ていきましょう。 「T」の『舞姫』には日本人がドイツに行って、その地に「魅力」を感じ、次第に魅力がうすれ「悲惨」に変化していく心理が描かれています。この作品には人種の問題ばかりでなく、ジェンダーと階級の問題も含まれています。主人公は「男の世界」から「女の世界」に移り、「上流階級」から「労働者階級」へと渡ってもいく。異文化と上手くなじめなかったのは体験が過剰すぎたのでしょう。 スイス生まれの作家ゾペティ氏の『いちげんさん』は、ヨーロッパの男性が日本の京都の大学で日本文学を学びながら数多くの日本人と出会っていく。しかし結局、日本が嫌になって去っていくという話です。彼は、母親と二人暮らしの目の見えない女性に文学作品を読むボランティアを行い、二人の間に恋愛感情が生まれるが去る。もう一つの『舞姫』といえるでしょう。女性の気持ちを考えない点も似ています。彼が日本を去るのは、外国人を珍しがる人々の態度に不満をもったからですが、外国人に過剰に反応するのは日本人特有のものではありません 『ドク』や『深い河』は、日本が失ったものをベトナムやインドで発見する話です。外国は「魅力」と「救済」として捉えられています。ドイツ映画の直訳すると『寺に修業に行く』は、家庭に問題を抱えているドイツ人男性二人が、日本のお寺で解決の糸口を見つけ出そうとして修業に向かう話。日本が「救済」として捉えられていますが、お寺にたどり着くまでの悪戦苦闘をみて、やはり学生の親が子供を日本に行かせるのが心配になったといいます。 「U」以降は簡単にのべましょう。「U」の帰国子女や海外駐在員の話には、自国に戻って来て、自国に違和感をもってしまう心理が捉えられています。行動が微妙にズレてしまうのですね。だから自国であるにもかかわらず、受け入れてもらえなくなります。 「V」は、アメリカ占領下にあった沖縄を典型とすることができる。『BEAT』には沖縄を舞台に沖縄人、アメリカ人、日本人、台湾人が登場し、それぞれが疎外しあっています。共存の難しさが描かれています。 「W」は、特に両親の国が異なり、「ハーフ」と差別されがちで、アイデンティティの問題を抱えている人や、移民としてある国に住み着いた人々の子供の問題を扱っている。資料には載せてませんが、授業で取り上げたという鷺沢萌の『君はこの国を好きか』もはいります。日独比較として興味深いのは、日本の在日韓国・朝鮮人をテーマにした作品と、60年代からドイツで労働者として暮らしているトルコ人の、第二世代以降を題材とした作品です。 一方、二つの文化に根ざしつつ二つが出会うことによって生まれる新しい文化に注目している多和田葉子は魅力的な作家です。 「X」は、様々な文化形態をもつ者が一緒に暮らしている状態ですが、現在のところ共存の不可能性が目立ちます。『不夜城』にしても『スワロウテイル』にしても、外国人が犯罪絡みで描かれることが多く、『不夜城』を観た中国人留学生は、「中国人=犯罪者」という図式の成立が恐いと語っていました。 異文化との接触によって人は様々な感情をもたらされます。「外国だから」「外国人だから」という意識ではなく、「外国が外国でなくなる」、つまり自分の国と同じような感覚で「外国」が見えてくれば、「共存」の可能性も見えてくるのではないでしょうか。 (文責:与那覇恵子)
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