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合格されたみなさまへ
東洋英和の学び
東洋英和女学院大学の先生たちが、
それぞれの学びの専門領域をご紹介!
本学の学びの広さ・深さを感じてください。
死生学ってどんな学問ですか?
「死生学」は英語で“thanatology”と言います。これは“thanato”[死の]+“logy”[学問]からできた言葉で、直訳すれば「死学」です。しかし日本では、「死」についてだけでなく、「死」を通して「生」についても考える学問と理解され、「死生学」と呼びならわされています。この学問が登場してきた背景には、20世紀の後半になって医学と生命科学が発展し、人間の生と死に介入するようになったために、いわば生と死から「自然さ」が失われて、「生とは何か」「死とは何か」があらためて問われるようになったことがあります。
死生学で重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
日本の死生学では、アルフォンス・デーケンの名を挙げなければなりません。「死生学」という名前を広めたのは彼です。著書に『死とどう向き合うか』(NHK出版、2011年)があります。彼は「死の準備教育」を提唱しましたが、ただ、死生学はそれに尽きるわけではなく、もっと広い視野に立つなら、島薗進も読むといいでしょう。『ともに悲嘆を生きる――グリーフケアの歴史と文化』(朝日選書、2019年)などがあります。とりわけ東日本大震災以降は、グリーフケアは死生学の重要なテーマの一つになっています。
死生学を学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
これまでにどれだけのひとが生まれ、死んでいったことでしょう。その一人ひとりに生き様があり、死に様がありました。そのひとが生きた文化や宗教によっても違いがあります。そうした違いに目をこらすことが大事なことの一つです。またそうすることによって、様々な違いにもかかわらず、ひととして生きること、死ぬことに共通する何かも見えてきます。その何かを考えること、知ることが、もう一つ大事なことです。
死生学を学ぶと、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見がありますか?
生と死をどう考えるかは、時代や社会によっても異なります。わたしたちが当たり前に思っている現代の死生観も、死生学を学ぶと、現代に特有なものであることがわかります。また、生と死について知っているようでいて、実は生と死に関わる多くのことがらがわたしたちの目から隠されていることに気づかされます。生と死について自由に考えているようでいて、実はそうではない――そうしたことが見えてくると、自分の「いま」と「これから」を考えなおすようにもなります。
東洋英和で死生学を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
たとえばグリーフケアについて理解しようとするなら、身近な他者を失うことがなぜこれほどまでひとを悲嘆へ追いやるのか、ひとの心について知る必要があります。また、悲嘆はときに社会によって抑圧されることがありますし、宗教によって癒やされることもあります。そうしたことから、心理学や社会学、宗教学についても学ぶことができれば、グリーフケアの理解をいっそう深めることができます。そして東洋英和には、まさにそうした環境がととのっています。
先生は死生学のどんなところに魅力を感じているのですか?
人間が人間であるとはどういうことか、その根源に触れることができるところでしょうか。近年の研究では、動物にも仲間の「死」を悼むものがあることがわかっています。しかしまた、「死者」を悼むのは人間だけらしいということも指摘されています。「死者」を弔い、「死者」を想い、その面影とともに生を送ることができるのは、どうやら人間だけのようです。そのことから、「人間らしさとは?」とか、「人間として守るべきこととは?」といったことを考えていくと、倫理学や政治学など他の学問にもつながっていって、世界の見え方が変わる面白さを感じることができます。
臨床心理学ってどんな学問ですか?
「心の支援」のための理論と実践を学びます。比較的新しく生まれた学問で、ヨーロッパ・アメリカから日本に入ってきました。カウンセリングや心理療法の理論、と言ってもよいでしょう。心理学は、それまで毎日の生活や小説・創作の世界のものだった「こころ」を科学的に研究することから始まりました。「臨床」とは「ベッドサイド」という意味です。病の床にある人々への援助のための学問として生まれました。
臨床心理学で重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
カウンセリングのロジャーズ、精神分析のフロイト、遊戯療法のアクスライン、夢分析のユング、そして認知行動療法のベックなど。日本から世界に発信された学説という点からいうと、土居健郎の「甘えの構造」はぜひ読んでいただきたい一冊です。また河合隼雄の「昔話と日本人のこころ」もお勧めの本です。
臨床心理学を学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
目の前にいる「あなた」を思いやる気持ち。長いおつきあいの「私」を大切にする気持ち。臨床心理学の研究アプローチの一つに、関与観察(サリバン)という言葉がありますが、客観と主観と両方の視点が必要になります。
臨床心理学を学ぶと、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見、
変化がありますか?
「こころの世界」の広さ、奥深さを実感することになるでしょう。これまで体験したことの意味や構造について、思わず「そうか!」と納得する瞬間が訪れるはずです。実践と深く結びついた学問なので、「自己理解」と「他者理解」を基に、「こころを支援すること」の可能性と限界を具体的に発見していきましょう。
東洋英和で臨床心理学を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
東洋英和女学院大学では、公認心理師の資格を取るためのカリキュラムが整備されています。そして、大学院進学者には、内部推薦という制度も整っています。本学の大学院は社会人のための大学院ですので、卒業して就職した後、あるいは30代、40代、50代になってから「心理職」を目指す皆さんを応援しています。※入学金免除。
先生は臨床心理学のどんなところに魅力を感じているのですか?
「こころ」には、普遍的なところがあります。例えば、原始の時代と現代を比べてみましょう。生まれたばかりの赤ちゃんのこころの在り方は、いかに科学が発達したとしても、社会生活が全く違っていても、きっと同じにちがいありません。また、同じ時代、同じ場所、同じ家族で暮らしていても、みんな個性があって違っているのです。すごいことですよね。
特別支援保育(教育)とは何ですか?
日本の保育教育は、年齢別での学年編成で行われることが一般的です。つまり、同じ年齢(生活年齢)で集団を組むことによって、教育の効率が高まると考えられているからです。しかし、一人ひとりの子どもたちは個々に発達の様子が異なります。子どもたちの中には、従来の保育教育方法では様々な困難性をもっている子がいます。個々の子どもたちの状態像を理解し、個々のニーズに合った保育教育を行うことが特別支援保育(教育)です。特別支援保育では、一人ひとりの子どもたちが持てる力を発揮し、充実感・達成感を味わいながら自己肯定感を高めることができるのです。
どのような子どもたちが対象となりますか?
視覚障害(目の不自由な子どもたち)、聴覚障害(耳の不自由な子どもたち)、運動障害(身体の不自由な子どもたち)、知的障害(音声言語によるコミュニケーションが不自由な子どもたち)、発達障害(知的な遅れはないがコミュニケーションや対人関係に困難性をもつこどもたち)が対象となります。それぞれの状態像や原因を理解し、望ましい支援の在り方について学びます。
保育実習や教育実習とどのように関連していますか?
幼稚園や保育所などでは、子どもたちのおよそ1割が特別な支援を必要とする子どもたちであると考えられています。したがって、保育所での保育実習、幼稚園での教育実習では必ず特別な支援を必要とすることどもたちと接する機会があります。Q2.で示した子どもたちについて正しい知識を得ていることにより、適切な対応を行うことができます。
特別支援保育(教育)を学ぶことによって、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見がありますか?
様々なニーズを持つ子どもたちを理解することは、いわゆる「障がい」を持つ子どもたちだけでなく、多様な人種や国籍、性別、また、年齢によって分け隔てなく保育教育、生活が行われる「共生社会の実現」につながります。一人ひとりの人間は皆違うという「多様性」を理解し、子ども理解と人間理解の基礎を築くことができます。
東洋英和で特別支援保育(教育)を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
東洋英和のスクールモットー「敬神奉仕」は、まさに共生社会実現のための福祉の心を表しています。高等霊長類に特有のミラーニューロン(Mirror Neuron) は、自身を他者に置き換える働きをします。このMirror Neuronを使って他者の気持ちを理解し、他者のために自身が何をすべきなのかを考えることができるのです。特別支援保育の学びは、まさに福祉の心、敬神奉仕につながっています。
先生は特別支援保育(教育)のどんなところに魅力を感じているのですか?
私は今でも幼稚園で定期的に体操指導を行っています。発達障害のある子どもたちも含めてのインクルーシブ保育の場面です。つまり、同能力の定型発達の子どもたちばかりではありませんから、「異能力」の子どもたちの集団になります。個々の発達段階も興味関心も異なる子どもたちの集団で、一人ひとりの子どもたちのニーズと興味関心に合わせて題材を選び、どの子も達成感と充実感を味わうことができる体操の時間を作っています。このようなインクルーシブ保育の活動を支えているのが特別支援保育の理論と知識なのです。
保育学ってどんな学問ですか?
みなさんは「保育」と聞いて何を思い浮かべるでしょう。保育園や幼稚園であそぶ子どもの姿をイメージする方が多いのではないでしょうか。園庭の砂場で穴を掘る子どもや、子どもの歌に合わせてピアノ伴奏をする保育者など、「保育」の一場面を思い出されることでしょう。もちろん、こうしたイメージ通り、「保育学」には保育園や幼稚園で行われる「保育」に必要な知識や技術を体得していく学びも含まれています。ただ、それが「保育学」のすべてではありません。先のイメージを例にとれば、なぜその子は「砂を掘り、穴をつくる」のか。園の砂場で「どんな子ども同士のつながり」が生まれているのか。ヒトが「砂にさわり、その形を変えようとする」のはなぜか。そもそも「穴とはなにか」など、数限りない問いに「保育学」は向かい合っていきます。「保育」は子どもが育つことにかかわる日常の実践です。日常は、身体化された「あたりまえ」からつくられていきますが、そうした意識しづらい価値観を問うことも「保育学」です。つまり「保育学」とは、「生きていることそのもの」を扱う教養にほかなりません。
保育学で重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
「保育」では、人が育つことにかかわるすべてのことが学びの対象になります。そう考えると、「すべての日常が保育に通じている」ため、あらゆる学問領域の人が重要で、あらゆるジャンルの本が「保育」にとって重要な本だといえます。ただ、強いて日本の「保育学」に大きな影響を与えた人物をあげてみれば、その一人に津守眞先生をはずすことはできないでしょう。津守先生は、たとえ大人には取るに足りない些細なことに思えても、「子どもの行為にはすべて意味がある」という見方を保育の理論として示しました。お茶の水女子大学の附属幼稚園や愛育養護学校の保育実践にもとづいて書かれた『保育者の地平』(ミネルヴァ書房、1997年)は、日本が世界に誇る保育の名著です。それは、こんな文章で綴られています。「保育の実践は、まだ形にならない子どもの世界をともに生きることだといってよいだろう。後になってふりかえるとき、そのある部分が意味を与えられて、大人の意識の中に位置づけられる。」一つ一つの言葉が胸に響く本です。本書を読んだ後には、子どもの世界がそれまでとはちがって見えてくるはずです。
保育学を学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
「相手のためを思って」行動するとき、私たちは「予測できる」という前提で相手と関わってしまいがちです。よかれと思っているその「思い」は、簡単に「支配」になりやすい。相手のためを思ってする行為の中で、私たちにできることは、相手をよく見て、真摯に相手の感じていることを「聞こうとする」こと以外にはありません。知ったつもりにならないこと。それが「保育学」を学んでいく上で、最も重要なことだと思われます。自分と他者は違うことを意識化し、想定できない相手の行動に積極的な意味を見出すことです。「思っていたのと違った」ではなく「そんな感じもアリね」と、自分が変化することを恐れない好奇心や、「聞く」という受け身の姿勢が大切だと思います。
保育学を学ぶと、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見、変化がありますか?
三角形の内角の和が180度であるのは<理論>です。パスカルやニュートンやアインシュタインがいてもいなくても、三角形の和が180度であることは誰かが発見したでしょう。それが<理論>です。誰にでも実証可能で、反復できる事実です。でも「カラマーゾフの兄弟」はドストエフスキーがいなければ存在しませんでした。そして、「カラマーゾフの兄弟」が書かれなければ、ロシア文学は、いまとはちがったものになっていたでしょう。夏目漱石も、ベートーベンも、フェルメールも、固有名をもった<物語>を扱っているわけです。この<物語>をつくるのは、いまここに生きる「固有の」私たち自身でしかありません。それは「固有に」想像され、つくりだされ、伝えられ、そこにたまたまあった固有の経路に依存してのみ生みだされます。保育も同じ固有の<物語>です。なぜしかけあそびをたのしむのか、なぜ歌を歌うのか、なぜ絵を描くのか、なぜ物語りを紡ぐのか、それは<理論>に支えられなければできないことではなく、一回限りの人生が、一回だけのことであっても、何度も思い出され、記憶され、問いかけられるような<物語>として生成されているからだと考えられます。「保育」を学ぶと、そういうことを考えられるようになると思います。
東洋英和で保育学を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
東洋英和は、百年以上の歴史をもつ保育者養成の「老舗」です。東洋英和出身の保育者が、日本の保育のパイオニアとして、新しい地平を切り拓いてきたことは、つとに知られるところでしょう。これは、先輩保育者の功績が、各園をつなぐ人脈として今に続いていることを表しています。学校教育は、どこの学校に行ってもおおよそ同じ内容や方法で行われていますね。でも、保育の場は、各園の風土によってそれぞれの保育がつくられており、外から見ただけでは見えない部分が多いのがその特徴です。そのため、自分の価値観にピタッと合う園を就職先としてみつけることが意外と難しいわけですが、「老舗」である東洋英和であれば、現役保育者からの実際の声をもとに園の実情を理解し、安心して働きつづけることができる保育の場であるかどうかなどを判断することができます。
先生は保育学のどんなところに魅力を感じているのですか?
ヒトは、子を授かり親になり、子を産み育て親としての喜びや哀しみがあることを知っていきます。初めから親として産まれるヒトはいません。にもかかわらず、一定のヒトが、<いのち>をつなぐ担い手になります。また、ヒトの子どもは、自分で選んだわけでもない自分の命を、産まれたその瞬間から自ら「生きたい」と願い、その<いのち>を引き受けていきます。こうした不思議なヒトとヒトとの<いのち>のつながりを経て、何万年も何万年も、私たちは生き続いています。このような<いのち>のつながりの中に起こるすべての営みが「保育」であり、「保育学」とは「生きることそのもの」を扱う学問といえます。それは、人の育ちの中にある大切なものに気づいていく、そんな知性を拓いていく学問といえるでしょう。保育の場で資格をもって働く専門的保育者にはならなくても、人が生きていく上で必要な教養の一つとしての「保育学」が、いま、とてもおもしろいと思っています。
メディア学では具体的に何を勉強するのですか?
政治学や経済学と違って、メディア学は確固とした体系がある学問ではありません。ジャーナリズムに関わる制度や法律の問題を扱うこともあれば、メディアの歴史を扱うこともあります。心理的な影響について理解することも、また情報産業の分析を行うこともあるでしょう。デザインや映像制作といったスキルを身につけることも含まれるかもしれません。メディア学は「複合的な学問」なのです。
ですから、メディアについて勉強したいと考えている方は、その大学や学部ではどのようなアプローチでメディアを学ぶのかを確認したほうがいいですね。
東洋英和では、具体的にどのような授業が展開されていますか?
東洋英和では、特定のアプローチに偏らないよう、できるだけ幅広い科目を提供することを心がけています。国際社会学科のメディアコースには、「ジャーナリズム論」「メディア心理学」「メディアの歴史と現在」といった講義科目のほかに、「アナウンス技術論」や「メディア演習」などの実践的な授業も用意しています。
他の大学にない科目としては「世界のメディア」があります。独裁政権の国、多民族が暮らす国のメディアの在り方を知ることは、視野が広がるというだけでなく、私たちが生きている日本社会を見つめ直すきっかけにもなります。国際社会学科にメディアコースを置いている東洋英和ならではの科目だと言えるでしょう。
メディアを学ぶとメディア業界に就職できますか?
メディアを学ぶことが就職に直接結びつくことはありません。しかし、メディアを学ぶことでますます関心を持ち、自分もその世界で働いてみたいと思うようになる学生さんは多いようです。実際に私のゼミの卒業生には、テレビ局(アナウンサー含む)や番組制作会社に就職した人、広告会社に就職した人がたくさんいます。役者になって活躍している人もいますね。
ただし、メディア業界以外に就職した人もたくさんいます。メディアを学んで金融業界や航空業界で働いている卒業生も少なくありません。メディアを学ぶことは、現代社会で生きるうえで切り離せないメディアと私たちとの関わり方を理解することに他なりません。その意味で、メディア学は将来にわたって役立つ学問と呼べるでしょう。
メディアを学ぶと、日常生活にどんな気づきや発見がありますか?
私たちは、メディアなくして生きていけない社会で生きています。テレビやインターネット、看板や教科書だってメディアです。おそらくメディアに関心がある皆さんの多くは「情報の取捨選択能力が大切だ」とか「メディアの情報を鵜呑みにしないようにしたい」という思いを持っておられるでしょう。でも、それってどうやれば実現するのでしょうか。これは無理難題です。
私が担当している「メディア・リテラシー」という授業では、私たちが身につけるべきなのは「取捨選択能力」ではないという話をしています。むしろ、私たちは身の回りのメディアからどのような影響を受けているのか、その向こう側には何があるのかを理解して想像する「目」が大切だとしています。こうした「目」を持つことで、メディアへの接し方や考え方が変わってもらえると嬉しいですね。
メディアを学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
最初に記したように、メディア学は「複合的な学問」です。ですから、いろいろなことに関心を持つことが大切だと思います。メディアという切り口で人間の歴史を見ると、まったく違う面白さがあります。でも、そのためには世界史・日本史の基礎知識が必要ですよね。世界のメディアの現状を理解するためには、多様な政治・経済の在り方を知っておくことが必要です。自分が「伝え手」になるのであれば、言葉の能力だけでなく、たくさんの知識や発想力が必要になります。メディアを学ぶためには、メディアだけを学ばないこと。変な言い方かもしれませんがこれが大切なことだと思います。
先生はメディア学のどんなところに魅力を感じているのですか?
私の専門は、メディアを利用する人々の心理や行動です。私たちは、戦争や災害の惨状を哀れんだり、政治家の汚職に怒ったりします。それに伴って行動することもあるでしょう。しかし、これらの多くが「自分自身が直接経験していない出来事」です。すべてメディアを介して知るわけです。遠く離れた友だちの近況を知るのも、スマートフォンというメディアがあるからです。「経験していない出来事」に影響され、社会が動いていく。これはよく考えたらすごいことです。
「メディアはコミュニケーションの制約を解放する」という考え方があります。距離や時間といったコミュニケーションのハードルは、メディアによって克服されるという意味です。この考え方に沿えば、メディアが解放したコミュニケーションから人間の本質が見えてくるのかもしれません。ですから、メディアを学ぶのは、私たち自身を理解することにつながっていくと思っています。
国際機構論ってどんな学問ですか?
ニュースでもよく話題になる地球温暖化、新型コロナウイルス、ウクライナ戦争について皆さんも考えることがあると思います。このような一つの国だけでは解決できない課題に取り組むのが国際機構で、そのうち一番有名な機関は国際連合です。国連は、実は多くの国際機関がより集まったファミリーを指し、その中には新型コロナウイルス対策で有名になった世界保健機関(WHO)や、皆さんが乗る航空機の運用の安全性や空港の設計基準などを定めて管理する国際民間航空機関(ICAO)も国連ファミリーの一つです。国際機構論は国際政治学の1分野ですが、グローバル化がどんどん進む21世紀ではその重要性は増しています。
国際機構論で重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
国連事務総長って知っていますか?現在は第9代事務総長のアントニオ・グテーレス氏です。事務総長は、国連のトップで、世界で一番難しい外交の仕事と言われています。常に弱者を代弁して、平和で安全で繁栄した世界を目指して身を粉にして働いています。この事務総長の仕事は、国連憲章という日本でいう日本国憲法に沿って行われます。国連事務総長の仕事ぶりを理解するためには、国連憲章に照らし合わせてみるとよくわかります。ですので、まずは国連憲章の前文をじっくり読んでほしいです。
国連憲章の日本語訳はこちら
国際機構論を学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
毎日の生活が、もしかすると世界と繋がっているかもしれない、と考える癖をつけてほしいです。例えば、大好きなうどんを食べたときに、うどん→原料は小麦粉→そういえば小麦の価格上昇ニュースで聞いた→理由はウクライナから小麦の輸出ができない→原因はロシアが戦争を仕掛けたから、となります。うどんを食べれば世界が見える。面白くないですか?ガソリンを入れる時、スマホを買い換える時、電気を使う時、など沢山機会はあります。こんな好奇心があれば、国際機構の役割にも興味が湧いてきます。例えば、なぜ郵便という制度が世界中にあり切手の値段が各国で若干違うのでしょうか?それは、万国郵便連合(UPU)という国際機関があり、そこで世界各国が議論した結果なのです。
国際機構論を学ぶと、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見、
変化がありますか?
急に世界が身近に感じられるようになります。そして将来の仕事に役立つことがわかります。具体的には、(1)外交や貿易はもとより現代社会では避けられない外国と関係する仕事に就いたときに世界の仕組みがどんどん見えるようになる、(2)世界情勢の理解が深まることで家族、お友達や知り合い、将来の自分の子供たちに説明できるようになり尊敬されます、(3)選挙や就職・転職など人生の節目で大人として責任ある判断ができるようになり、自分としても社会としても、いい方向に向かっていきます。
東洋英和で国際機構論を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
ニューヨークとワシントンD.C.に行きませんか? というのは、2年生の前期から履修できる国際機構論は、後期の「海外研修A(アメリカ)」の履修に必要な条件になっています。ということは、国際機構論を履修すると後期の海外研修Aの履修が可能になります(通常10名程度ですが希望者多数の場合は国際機構論の成績で選抜します)。この研修では、ニューヨークにある国連本部の訪問、国連職員との意見交換、メディア関係者との意見交換など、世界金融の中心ニューヨーク市と、世界政治に絶大な影響をもつワシントンD.C.を訪問し日本のどこからでも得られない視点で世界を考えます。人生が変わるかもしれませんよ!
先生は国際機構論のどんなところに魅力を感じているのですか?
世界が安全で、個々人の尊厳が保たれ、豊かな社会を作る目的に向かって、世界情勢を理解して行動できる国際社会の一員になれば、幸せな人生という大目的に向かって生きる満足感を感じられます。それは、「知らなかった」「あのときもっと理解しておけばよかった」という後悔を減らすことにもつながります。誰でも後悔すると前向きになれないですよね。国際機構論を学ぶと、日常が世界と繋がっているという意識が育ち、例えばSDGsが掲げるさまざまな目標が相互に繋がっていることも見えてきます。そして、皆さんの中から国際機関で務める人が出てくると思います。世界に役立つ仕事をして給与を貰う、って魅力的ですよね!
神話学ってどんな学問ですか?
神話学(ミソロジー mythology)は、古代ギリシア語のミュートス(神話)+ロゴス(研究)。文字通り神話について研究する学問です。神話とは、あの世もこの世も含めた大きな世界観を物語の形で表したもの。神話は、この世界と人間が存在することの根拠と意味について、人類が長い年月をかけて考えぬいてきた叡智の結晶のような物語です。人類の諸文化はすべてそれぞれ固有の神話を生み出して、その世界観を生きてきました。ですから神話を学ぶということは、人間を学ぶということに他ならないのです。
神話学で重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
20世紀の後半に神話学を本格的に始動させたのが、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースでした。構造主義と呼ばれる彼の神話分析は、それまで幼稚で非合理な思考の表れと見なされていた神話の背後に、緻密な論理的思考と哲学的な意味があることを証明しました。彼の著作はとても難解ですが、『野生の思考』(みすず書房1976年)に挑戦してみませんか。日本では吉田敦彦が、構造分析の手法を取り入れたうえで、さらに歴史学的研究や考古学の成果も取り込んで、日本の縄文時代の宗教の系統とその全体像を明らかにする試みを行っています。『縄文宗教の謎』(大和書房1993年)が読みやすいでしょう。
神話学を学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
神話は、人類の永遠の問いに対する答えの物語です。私はなぜ生まれてくるのか、なぜ私はこのような世界に生き、なぜ死ななければいけないのか。現代の科学でも合理的に解決できない問題に対して、物語の形で答えようとするのが神話です。人々は深く考えて、それぞれの文化において異なる答えの物語を生み出しました。ですからある神話や文化を理解するためには、現代の自分の文化の価値観にとらわれず、まずその神話に表された意味や価値を体系的に把握しようとすることが大切です。
神話学を学ぶと、日常のことや社会のことにどんな気づきや発見がありますか?
神話的な世界観は今も私たちの心の奥深くにありますが、多くの人にとってそれは無意識のもので、私たちは自分の行動の文化的な意味に無自覚です。たとえば日本の私たちの多くはお風呂や温泉が大好きですが、私たちにとって湯はただの「hot water」ではなく、湧き立つ生命力に満ちた特別なもの。古代神話の中では、温泉は病気の治療法のひとつとして神が人間たちに与えてくれたもので、それに浸かれば死者も生き返ると語られています。神話を知ると、私たちがお湯に浸りたいと願う気持ちが、実は千年以上昔の人々の再生への願望につながるものだと自覚できるでしょう。
東洋英和で神話学を学ぶことには、どんな意義やメリットがありますか?
ある神話の世界観を共有して生きる人たちの営みの全体が、その人たちの文化の内容を形成します。その意味で神話は、それぞれの文化を生み出す基盤であると言えます。ですから人間科学部で人間について学ぶ場合はもちろんのこと、国際社会学部で異文化について学ぶ場合にも、まずその文化の核心をなす神話を理解することが大前提になるのではないでしょうか。
先生は神話学のどんなところに魅力を感じているのですか?
レヴィ=ストロースは、人間の神話的思考が時空間の制約を離れ、動物や植物や天体などの多くの知識を組み合わせ、変形を繰り返して自由に展開しつつ世界の意味について語る様子をアクロバティックに明らかにして見せました。それはとても魅力的です。私も日本の神話や昔話、さらに現代のアニメなどの中に、そのような知性の働きを追い、そこに秘められた豊かな意味の世界に触れていきたいと思っています。
異文化間コミュニケーションってどんな学問ですか?
「異文化間コミュニケーション」は英語で通常、“intercultural communication” と言います。形容詞 “intercultural” は、inter-(~の間)+ cultural(名詞cultureの形容詞)ですから、「文化と文化の間で発生するコミュニケーション」くらいの意味になり、日本語に使われている「異」という意味は特に出てきません。“intercultural” の代わりに“cross-cultural” という表現を使うこともあります。「文化を越えたコミュニケーション」ですね。どちらの表現を好むにしても、ではcultureとは何か、そして文化とは何か、という課題に行き当たります。異文化間コミュニケーションとは、自分と相手の文化を意識し、言語やその他のコミュニケーションツールを用いながら、自分の意見や考えや状況を相手に伝えて理解してもらい、同様に相手の意見や考えや状況を知ることにより相手を理解する、それを客観的に考察することが異文化間コミュニケーションの学びであると言えます。
異文化間コミュニケーションで重要な人物、重要な本にはどんなものがありますか?
どのような環境で起こるコミュニケーションに注目するかによって、重要な研究者や研究書が違ってくるのですが、日本人が日本人以外の人と、日本語以外(たとえば英語)を用いてコミュニケーションを図るという想定では、青山学院大学名誉教授の本名信行氏による『多文化共生時代に学ぶ英語』をお薦めします。異文化間の英語コミュニケーション能力について多くの学びと気づきを与えてくれるでしょう。
異文化間コミュニケーションを学ぶのに必要なこと、大事なことって何ですか?
人は誰でも、慣れていることを心地よく思い、異なることには緊張したり警戒したりする傾向があります。そういう姿勢が身を守ることもあるのですが、積極的なコミュニケーションをめざすのなら、異なることを嫌うのではなく、面白がってほしいと思います。そうすればたくさんの発見があります。
異文化間コミュニケーションを学ぶと、
日常のことや社会のことにどんな気づきや発見、変化がありますか?
異文化とは、日本と日本以外の国の間に限ったことではなく、身の周りにもたくさん存在します。皆さんと親御さんの世代、そのまた上の世代とでは経験も価値観も異なるでしょう。職業や出身地、社会的な立ち位置によっても、考えや習慣、そして「当たり前」と思っていることが異なります。異文化間コミュニケーションの学びは、そのような「違い」が生まれた原因や理由のヒントを与えてくれます。答えは各自が背負っている文化の中にあると考えられるからです。
東洋英和で異文化間コミュニケーションを学ぶことには、
どんな意義やメリットがありますか?
異文化間コミュニケーションの学びへのアプローチは多様です。人間科学部で、「人」や「子ども」を切り口に、異なる文化に生きる者同士の伝え合いを考えることも、国際社会学部で、グローバル化時代の多様な人々の接点を考察することも、有意義な異文化間コミュニケーションの研究につながります。加えて、東洋英和の日本人学生と共に学ぶ留学生とのコミュニケーションや、大学周辺のコミュニティで暮らす多様な外国人とのコミュニケーションも、本学で学ぶための大切な刺激となるでしょう。
先生は異文化間コミュニケーションのどんなところに魅力を感じているのですか?
宇宙人が地球人を観察するとしましょう。地球人をよく知らない宇宙人には、アジア人もヨーロッパ人もアフリカの人々も、単なる「地球人」にしか見えないでしょう。でも、地球人を理解していくと、あの地域の人は背が高い、とか、ここの人とあっちの人が食べるものが違う、とか、発する音(話している言語)が違うみたいだ、とか、細かいところに気が付きます。知らなければ一括りになることでも、学ぶうちに違うところや似ているところがわかってくるのです。見えなかったものを見せてくれる、それが異文化間コミュニケーションの楽しさです。