学院史料展示コーナー案内 「東洋永和の勤労動員」 | ||||
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今回、学院史料展示コーナーでは東洋英和が校名も「東洋永和」と変え、生徒達が勤労動員に従事した非常時の学校生活を写真や史料からたどります。
六本木校地の近くにいらっしゃる際には是非お立ち寄りください。
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もんぺ姿の生徒たち
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教職員たち 1945年7月
おもな展示品
・昭和19年7月1日以降 沖電気株式会社 東洋永和作業所 日誌
・教務日誌、教員會議記録
・昭和19年7月1日 勤労動員日誌
・(安藤電気の)作業所日誌
・青少年学徒に賜はりたる勅語
・戦時中のもんぺと上着と防護めがね
・昭和20年の卒業証書
昭和20年の卒業記念写真
・東洋永和女學校特設防護團救護班腕章
・昭和19年4月より20年10月まで勤労動員ニ関スル綴
会期:2011年9月末まで(予定)
展示場所:六本木校地 本部・大学院棟1階ロビー
見学可能な時間:日曜、祝日以外の本部・大学院棟開館時間内
お問い合わせ先:〒106-8507 港区六本木5-14-40
TEL 03-3583-3166 法人事務局 史料室
展示から一部ご紹介
勤労動員 Q&A
勤労動員ではどんな作業をしたのでしょうか?
学校工場の東洋永和作業所では、無線機(送信機・受信機)の組み立て、コイル巻き、ケーブルの準備、マイカ(雲母)切り、ハンダづけなどをしました
授業はあったのですか?
基本的には、ありませんでした。最初は勉強しなくて済むのはうれしかったけれど、しだいに、かえって勉強したくなってきたものです。
(1年生だけは動員されませんでしたので授業があり、英語も学びました)
勤労動員をどう思ってましたか?
お国のために役にたてることなので、仕事を一生懸命しました。他の組と競争したりして、たくさん張り切って作りました。材料が足りなくて仕事ができないことが増えると退屈でした。
私達がもし不良品を作ったら兵隊さんたちに申し訳ないと不安で、慣れないうちは何度もやり直しをして上手にできるようになろうと必死でした
それまでの学校生活と変わったことはどんなことでしたか?
一番変わったのは、学校の名前が変わったこと。敵国の「英」の代わりに「永」がつけられました。
そして礼拝ができなくなったことです。朝は皇居に向かって礼をし、軍人勅諭を皆で唱え、行進して作業場に向かいました。
制服も、多くの人は国民服といわれるヘチマ襟の服で、下は必ず裾をしぼった「もんぺ」をはかなければいけませんでした。
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